黒坂黒太郎コカリナブログ

黒坂黒太郎のコカリナコンサート活動、東日本大震災被災地支援活動など

被災地のための歌「涙と希望の村」について その①

2012-05-26 10:12:36 | インポート
 息子(次男)が演出家をしています。ニューヨークの大学の演劇科に進み、卒業後オフブロードウェイ(ブロードウェイの回りにある小さな劇場)の演出もしてきたのですが、2年前に日本に帰り、今は年に2回ほど、東京や神奈川で自分が書いた脚本で公演を行っています。その彼が、昨年の春に、ニューヨークの沖合にある「エリス島」という小さな島のことをテーマにした芝居をやりました。エリス島はアメリカに移民しようとする人々の入国管理局がおかれていた島です。その劇中で彼が一つの歌を使いました。その歌が酷く印象に残り、何の曲か?と聞くと「Isle of Hope,Isle of Tears 」(涙と希望の島)という、エリス島をテーマにした曲だ、と教えてくれました。インターネットで調べると、アイルランドの作家でもあるブレンダン・グラハムという方が作詞作曲した曲であることが分かりました。ブレンダン・グラハム氏はあの世界的ヒット曲「ユー・レイズミー・アップ」(「貴方が支えてくれる」)の作詞者でもあります。「ユー・レイズミー・アップ」は荒川静香さんが、フィギアで演じる時に使っていたのでご存じの方も多いと思います。
そして、「Isle of Hope,Isle of Tears 」(涙と希望の島)をYou Tube で検索すると沢山の歌手のモノがアップされておりクラシックからポピュラーまで幅広い歌手の演奏を聴くことができました。大好きな女性ボーカルグループ「ケルティック・ウーマン」のものもありました。それらを聴き続けました。この曲に流れるアイルランド移民の皆さんの悲哀は、故郷を失った東日本大震災の被災地の皆さんの心情とピッタリ重なるように感じました。特に原発事故により故郷を離れなければならなかった福島の避難地域の皆さんの事が思い出され涙しました。そして何度も聴いている内に、日本語の詞が付いてしまいました。それを矢口が歌い始めたところ多くの皆さんから、「素晴らしい歌だ」と賛辞をいただき今度9月下旬にキングレコードから発売になる「被災地を励ますコカリナと歌のCD」に入れようと言うことになりました。そうなるとどうしても原作者に許可を得なければなりません。でも、「訳詞」と言うには、あまりにも歌詞を変えてしまっています。普通に海外の音楽出版社に許可を求めたら、おそらく一蹴されて終わりだろう、と思った僕は、直接本人に手紙を送り許可を得る事にしました。それも普通の手紙ではなく、日本が今どのような状況に置かれているか、震災でどれほど多くの皆さんが犠牲になり、家を失い、故郷を失い、難民のような生活を強いられているか、それをつぶさに報告し、その人々にあなたが創った「Isle of Hope,Isle of Tears 」(涙と希望の島)の歌が大きな励ましを与えることは間違いない、と心を込めて訴えなければ絶対成功しないだろうと、思いました。
(つづく)
「涙と希望の村」の原曲「涙と希望の島」
http://www.youtube.com/watch?v=AcxIdYbKu7Q&feature=related

被災地支援コンサートVol.67   長野県塩尻市        5月13日

2012-05-21 13:21:18 | 被災地支援
 昨年11月にも、被災地支援コンサートを行っている塩尻市。前回はかなり郊外の北小野地区。今回は、JR塩尻駅のすぐ近くにある市民交流センターのホール。今まで、この町で何度もコンサートを創ってくださっている「ななかまどの会」の皆さんが主催してくださり被災地支援コンサートが行われました。「ななかまどの会」とは僕が25年ほど前に、作家渡辺一枝さんの本の一節に曲を付けて創り上げた歌「ナナカマドの花」が好きな女性達のグループ。渡辺一枝さんや、一枝さんのダンナ様である椎名誠さんのファンでもあり、以前、この町で一枝さんとジョイントコンサートをもたせてもらったこともあります。当時、子育て真っ盛りの若い、元気なお母さん達は、今は、孫育ての元気なおばあちゃん達。その勢いは全く衰えていません。終了後の、打ち上げでは、「こんどこんな事をしよう、あんな事をしよう」夢の話は尽きませんでした。

   ナナカマドの花
 1,少女の頃、私はいつも、口笛を吹いていた
   女だてらに よしなさいと、言われながらも
   いつの間にか 忘れてしまって 歩いていた 雨の日
     ふと見上げれば、ナナカマドの花 そうだ私は 口笛吹いていこう

 2,一番にいたいことが 言えないモノだから
   そんな自分が歯がゆくて 悔しくて
   哀れみを抱いて 歩いていた雨の日
    ふと見上げれば、ナナカマドの花 そうだ私は 口笛吹いていこう

 3,肩を落とし 歩くなんて 貴方らしくないと
   自分に言い聞かせて 顔をあげた
   私は今、また自分の手にしっかり私を 捕まえよう
      ふと見上げれば、ナナカマドの花 そうだ私は 口笛吹いていこう


被災地支援コンサートVol.66   長野県佐久市商工会議所女性部  5月8日

2012-05-21 12:18:49 | 被災地支援

 新緑の信州、長野県佐久市にある商工会議所の女性部の皆さんによって平日の昼間、被災地支援コンサートがもたれました。会場は佐久ホテル、このホテルのパンフレットには「創業生長元年」とある。「生長元年っていつだ?」と調べると、なんと1428年 。室町時代です。ロビーには歴史的な「宝物」が陳列され、お客さんを迎えてくれます。その由緒あるホテルの会議室でコンサートは行われました。商工会議所の女性部ですから、お客さんの殆どは女性。被災地のために創り上げた歌「涙と希望の村」には沢山の方が涙ぐんでくれました。この曲は僕が、アイルランドの移民の歌「涙と希望の島」を、作者ブランデン・グラハム氏の了解を得て、日本語の詞に変えさせてもらったモノです。女性達の被災地に寄せる優しいまなざしに包まれて素敵な空間が誕生しました。そして、せっかくローカル鉄道小海線が走っている佐久市でコンサートをさせていただきましたので、矢口周美が歌い続けている「小海線、私を乗せて」も演奏しました。10年近く、毎週土曜日の夕方、信越放送ラジオで流されているせいか皆さんご存じだったのですが、それを僕が創り、矢口が歌っているものと初めて知り、とてもビックリされていました。でも、大変喜んでくださり今度小海線の列車の中で流すよう、商工会議所として働きかけます、と言ってくださいました。
佐久ホテル


被災地支援コンサートVol.65     新潟市西区  5月6日

2012-05-11 10:58:17 | 被災地支援
新潟市の西部、大河信濃川の河口を二つに分けるバイパス「関屋分水」を渡った所から新潟市西区になります。 ここに「新潟西おやこ劇場」という子ども達に、演劇や音楽の鑑賞を提供するグループがあり、僕のコンサートも何度も行っています。そのおやこ劇場が主催して被災地支援コンサートが行われました。場所は新潟西市民会館。僕らの演奏の前にコカリナ合奏団の皆さんが20分ほど演奏してくれました。
 この合奏団、総勢60名。その年齢の幅広さは、おそらく全国一でしょう。下は8歳から上は83歳まで。 三世代の皆さんが集まって素晴らしいハーモニーを創り上げています。こんな事ができるのもコカリナならでは。他の楽器ではなかなか見られない現象です。それが評価されてか、このグループは昨年新潟市で行われた「千の風音楽祭」でグランプリを受賞しました。
http://www.city.niigata.jp/info/bunka/project_sennokaze/ongakusai/index.htm
この合奏団は レパートリーも広く、今回演奏してくれたのは「タコ、タコあがれ変奏曲」「さんぽ」そしてディズニーの曲「ハイホー」「アンダーザシー」。ディズニーの曲はとても難しいリズムを見事にこなし、会場から大喝采を浴びていました。 最後は、子ども達が再びステージに登場。被災地に向けて 「ふるさと」を大合奏、大合唱しました。


被災地支援コンサートVol.64 ー被災地からお迎えしてー 上田市とっこ館   4月28日

2012-05-02 07:29:06 | 被災地支援
一度是非、被災地の方をお迎えして「つむぐコンサート」を行いたいと思っていたのですが、それがようやく実現しました。場所は再び上田市のコミュニティセンター「とっこ館」。昨年の今頃、まだ震災から1ヶ月しか経っておらず、多くの人々が混乱する中で「つむぐコンサート」の2回目として行われた場所です。石巻から、元高校の先生で、今は被災地の復興のために日夜奮闘してくださっている菊池英行先生が新幹線を乗り継いで、遠い信州まで来てくださいました。菊池先生は「被災地支援コカリナ&音楽プロジェクト」の現地責任者にもなってくださっており、被災松コカリナの復活、西光寺コンサートなど、菊池先生がいらっしゃらなかったら成り立たなかったでしょう。
 菊池先生をお迎えして行われた「つむぐ」コンサートは、まず私たちの演奏、そして先生の現地からの報告、そしてまた私たちの演奏、という形で行われました。先生の報告はやはり被災地でずっと暮らしてきた方しか持つことができない重みをもって私たちの胸に迫ってきました。多くの方が、その言葉に涙し、励まされ、これからも被災地のためにできる限りのことをして行こう、と決意を固めました。翌日は、近くにある戦没美術学生の美術館「無言館」で毎年恒例の成人式が行われ、私たちも演奏。そして、ゲストに脚本家の倉本聰さんが来てくださり成人の皆さんに素晴らしいメッセージを送ってくださいました。