黒坂黒太郎コカリナブログ

黒坂黒太郎のコカリナコンサート活動、東日本大震災被災地支援活動など

熊野那智大社で起きた不思議なこと

2022-02-26 16:43:06 | 日記
1月30日、新宮のコンサートを終えた僕は、「この地方は初めて」というピアニストの宇戸俊秀さんを案内して、
那智の滝をご神体とする那智大社に行った。那智大社は世界遺産熊野古道の終点にあり、神社と寺が同居する「神仏習合」の神社である。
JR那智勝浦駅から西に約10キロほど行った険しい山の中にあるため、新宮や那智勝浦の町場よりはかなり寒い。
行きは妻が運転する車で本殿すぐ脇まで行き、お参りを済ませた後、私と宇戸さんは「せっかくだから参道を降りましょう」と
急な階段が200段ほどある参道を降り、妻の車とは下にある滝の駐車場で待ち合わせることにした。
参道の両側にはどこの門前町にもあるように、土産物屋が軒を並べていた。ただ、シーズンオフの平日である上、
コロナの感染拡大が追い打ちをかけたため、参道を通る人はまばらで、土産物屋もほとんどがシャッターを下ろしていた。
長い階段を転び落ちないように気をつけながら、しばらく降りたときだ、小さな土産物屋が開いており、
そこにかなり高齢と思われるお婆さんが一人で座って店番をしているのが目に入った。
道路まで張り出した店棚には名物「那智黒飴」が整然と並んでいた。この寒い中、お一人で頑張っておられるのだ、
と思うと自然と会釈をしたくなった。軽く会釈をすると、お婆さんが話しかけてきた。
「兄さんたち車で来てるんかね?バスかね?」
と。普通だったら「どこから来らたんかね?」と聞くのに、なんで来たのか?と聞いてくる。不思議に思うと、お婆さんが
「車で来てるんだったら、町の婦人科まで連れて行ってくれないかね。朝から下腹が痛くて仕方がないんだ。こんなことははじめてだ」
と言う。驚いた僕はお婆ちゃんに近づいて
「どうしたんですか?」と聞いた。お婆ちゃんは
「なんだか分からないけれど、朝から『婦人科』がシワシワ気持ち悪く痛いんだ」
と言う。顔も青ざめている。「ただ事ではない」と思った僕は
「おばあちゃん、救急車を呼んだ方がいいよ」と言った。お婆ちゃんは
「救急車なんて近所の人にかっこ悪い」
と言う。そんなことを言っている場合じゃない。僕は携帯をとって
「僕が呼びますから」
と119番を押した。麓の町、那智勝浦町の消防署がすぐに出た。そして
「火災ですか?救急ですか?」と聞いてくる。僕は
「観光客ですが今那智大社の門前町のお婆ちゃんが苦しんでます」
と伝えた。消防署は
「申し訳ありませんが、私たちが行くまでちょっとお婆ちゃんを見ててくれますか?30分ぐらいで行けると思いますので」と
言ってくる。僕は急いでもいなかったので
「分かりました。お婆ちゃんを見てます」と答えた。すると消防署は
「お願いがあります。お婆ちゃんに毛布をかけストーブなどで暖めてください」と。「分かりました温めます」と、
僕は近くおいてあった電気ストーブをお婆ちゃんに近づけてスイッチを入れた。「毛布はないか?」と聞くのだが、
「そんなものはない」と、そっけない。すると、電話をつなげたままにしていた消防から
「救急車はもう出発していますが、本部から少し質問させてください。お婆ちゃんに聞いてもらえますか?」
「良いですよ」という僕に消防は
「お婆ちゃんのお名前は?」「お店の屋号は?」「いつから痛いのか?」「お腹のどのあたりか?」と。
それらの質問に僕が仲立ちになってお婆ちゃんに聞き、消防に伝える。そして「お歳は?」と来た。お婆ちゃんに聞くと
「99歳、今年100になる」
と。驚いた。99才で土産物屋を一人で店番するとは。
そして消防は
「申し訳ありませんが、もう少しお婆ちゃんに聞きたいのです。お婆ちゃんはPCR検査をしてるか?最近県外に行ったか?聞いてほしいんです」と言う。
このお婆ちゃんがPCR検査なんかしてるわけないだろう、と思いながら一応マニュアルとして必ず聞かなければならない救急の立場を尊重し、耳が少し遠いお婆ちゃんに
「お婆ちゃんPCR検査した?」と大声で聞く。案の定、お婆ちゃんは
「はあ?」
と来た。
「PCRというコロナの検査した?」
「はあ?」
「ピーシーアール」
「はあ?」
と、どうやっても通じない。しかたがないので
「してないらしいです」
と伝える。
「おばあちゃん最近和歌山県から出た?」
これは通じた。
「いや私はずっとここ。ここを出た事ない」
と。
「行ってないみたいです」と伝える。
そうこうしているうちに遠く下の方から救急車の「ピーポー」が聞こえてきた。ホッとしている僕にお婆ちゃんがとんでもないことを言い始めた。
「わしゃ、知らない人に連れて行かれるのはいやじゃ、兄さん一緒に行ってくれないかの?」と。
あっけにとられながら
「お婆ちゃん、知らない人じゃないよ。町の消防の人が来てくれるんだよ」
と言うが
「そんな人知らない。あんた一緒に行ってくれんか?」
と何度も迫ってくる。
「僕の方が知らない人だよ」
と思いながら
「お婆ちゃん勝浦町の消防署の人が来てくれるから」
と説得し続けた。しばらくすると救急車が到着、3人の若いイケメンの救急隊委員さんがやってきた。彼らを見るなりお婆ちゃんは急に素直になり、
指示を受け、処置に従い、抱きかかえられ救急車に乗った。家を出る前お婆ちゃんは、キリッとして
「これだけはやらなきゃ」
と電気ストーブのコードを思いっきり引っ張り、ストーブを消した。お腹がどんな痛くても火の始末だけはやらなきゃと、体が反射的に動くようだった。確かにここで火事を起こしたら、国宝級の神社や寺を焼いてしまうことになる。
救急隊員さんの
「ご苦労様でした。もう後は私達でやりますから」
という言葉に胸をなで下ろし、僕と宇戸さんはその場を去ろうとした。するとお婆ちゃんは売り物の「那智黒飴」を僕に差し出し
「持って行け」
と言う。僕は
「いいよいいよ。たいしたことしたわけではないから」
と低調にお断りして、階段を降りた。長い階段を降りたところで妻が待っていた。
妻に今起こった出来事を話し皆で
「良かった。良かった」と言い合った。それで一件落着だった。ところが、僕らは
「体も冷えたので何か温かいソバでも食べようか?」
と長い階段下に軒を並べていた一軒のソバ屋に入った。もう昼時も過ぎていたので客は僕らだけしかいない。
席に着き、出された温かいお茶をすすり始めたときだった。妻の携帯のLINEが「ピンポン」と鳴った。携帯を広げた妻が
「アイちゃんからだ」と言った。アイちゃんとはオーストラリアに住んでいる姪。姉の娘。姉、つまりアイちゃんの母親は他界してしまったため、
妻が母親代わりになっていた。LINEを見た妻が叫んだ。
「生まれたー!」
初めての子どもがそろそろ生まれる頃だったが、でも2,3日前から破水が起き、心配していた。コロナがなければ、
オーストラリアでお産の手伝いをしているはずだったから余計に心配だった。LINEの画面をのぞくと、
そこには生まれたばかりの元気な顔の赤ん坊と横で笑うアイちゃん顔があった。あのお婆ちゃんが無事生まさせてくれたのかもしれない。と思った。そう言えば
「あんた一緒に行ってくれんか?」と拝むように僕に言うお婆ちゃんの言葉は妻の母親、そうアイちゃんのお婆ちゃんの声にそっくりだった。
 先日、救急車で運ばれたお婆ちゃんはその後どうなったか、を知りたくて、門前町の郵便局に電話をした。すると
「元気になって、また飴を売っていますよ」との答えが返ってきた。
良かった。
サッカー日本のシンボル八咫烏はここ発祥

長い参詣道が神社に続く


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