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今野泰幸の記憶

2022-12-21 22:42:11 | 他チーム
阿部勇樹引退試合で撮ってきたレジェンドの記憶では、写真の元G大阪DF今野泰幸選手も印象深い選手です。彼は、東北高校では無名の存在で、地元のJFLソニー仙台に進む予定だったところを、岡田武史監督のスカウトでコンサドーレ札幌に入団してプロのキャリアをスタートします。当初、今野は自分の何が評価されてプロになれたかわかっていなかった様子ですが、本人が「やりたいです」とプロ入りを希望して実現しました。

今野はもともとはボランチの選手です。もっとも、華麗なパスで魅せるゲームメーカーではなく、地味に中盤の底に陣取ってこぼれ球を拾うアンカーでした。札幌でもボランチでしたが、J1のFC東京からオファーが届き移籍します。この頃からボランチで代表にも入る存在になりますが、当時は代表ではサブが定位置でした。当時FC東京を率いていた原監督は、代表で出ている選手は休ませる、出ていない選手は使うと明確だが、今野のようなベンチでちょっと出番がある選手は微妙だと使い方を考えていました。

もっとも、当時FC東京ではCBのポジションが課題でした。そのため、原監督はCBでもこなせる今野の守備力を評価してCBで起用する試合もありました。代表入りにはボランチでアピールしたかった今野には悪いことをしたと、原監督は振り返っていましたが、このCBコンバートがのちに生きることになります。それは、DFに攻撃センスを要求するタイプだったザッケローニ監督の就任でした。

攻撃の選手は、代表には一番上手い選手を使うと明確ですが、CBに関しては監督の好みがはっきり出ます。速いタイプが好きだったトルシエ監督は中田浩二を使い、フィジカルが強いタイプが好きだった岡田武史監督は闘莉王を重用しました。ザッケローニの場合は、イタリアという、相手チームが10人で引いてくるサッカーをこじ開ける必要がある文化を反映して、CBに攻撃センスが欲しいという考え方だったようです。

その要求にマッチしたのが今野でした。コンバートしたCBにしては異例の、代表での正CBを務めることになります。ザッケローニ時代は最終予選が比較的楽な通過だったこともあって、具体的な試合は思い出せないですが、吉田麻也と組んで代表のCBを張っていました。もっとも、集大成にするブラジルW杯は1分け2敗で1次リーグで敗退し、その後のハリルホジッチ監督にはあまり呼ばれなくなります。

昨年まではJ2のジュビロ磐田でプレーし、今は地域リーグでプレーします。来年で40歳になる今野もすっかりレジェンドですが、こういう引退試合で元気な姿を見られるのは嬉しいのでネタにしました。

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