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伝説の「お焼香ポーズ」(池田伸康)

2007-06-08 21:46:16 | 浦和レッズ
またも昔の選手になってしまいますが、浦和の元気印だった池田伸康元選手の思い出を書きます。池田伸康は、Jリーグが開幕した1993年に大学を出て浦和に加入しました。当時連敗街道が続いていた浦和で、外国人選手を外して池田伸康を入れると、途端にチームに活気が出て、V川崎相手に初勝利を挙げたと記憶しています。

小柄な池田伸康は、意欲的に前に走ることを武器にしていました。当時のポジションはボランチで、後ろからの攻撃参加が相手に読まれにくかった時代です。伝説のお焼香ポーズを披露したゴールを決めた横浜F戦、私はたまたま国立競技場のスタンドで観戦していました。

勝つことが珍しかった当時の浦和で、3-0という勝利を見られた嬉しさが記憶にあります。どういうゴールだったかは忘れましたが、ゴールの左サイド側から打ったシュートだったと思います。このお焼香ポーズは、当時活躍していたV川崎のビスマルクの神に祈るポーズに似ていて、一躍浦和のパフォーマーとして有名になりました。

しかし、そんな池田伸康は、残念ながら負傷の多い選手でした。瞬間的に輝きを放つことはあっても、それが1シーズン続くことはとうとうありませんでした。しかし、池田伸康は新たな活躍の場を右アウトサイドに見いだしました。

当時から山田が不動の存在だった右アウトサイドは、控えの層が薄いポジションでした。切れのあるドリブルでクロスを上げる池田伸康は貴重な控えとして、歴代監督から信頼を得ていました。負傷が多く、なかなか試合では姿を見られない池田伸康が、元気な姿を見せたのはレッズフェスタでした。軽妙洒脱なトークショーは、フェスタではいつでも人気でした。

しかし、そんな池田伸康の最後の輝きは、1999年に小野伸二のアシストで決めたレッズ最後のゴールでした。この年限りで浦和を戦力外になった池田伸康は、川崎F、水戸と渡り歩き、2002年を最後に引退しました。私は2002年の水戸時代の池田伸康も大宮サッカー場で見ています。それで、今でもブログのネタにしたくなるほど覚えているのかもしれません。池田伸康は、現在浦和のジュニアユースのコーチです。きっと得意の話術で、少年たちを楽しませているのでしょう。

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