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玉田圭司の記憶

2022-12-22 23:57:46 | 他チーム
先日の阿部勇樹引退試合で見かけた、柏や名古屋でFWとして活躍した玉田圭司さんの記憶です。玉田はスピード型のFWで、日本代表にはジーコ監督時代によく選ばれていました。玉田と聞いて思い出すのは、2006年ドイツW杯でのブラジル戦での先制ゴールで、当時日本はブラジル相手の勝利のみが決勝トーナメント進出の条件だったこともあって、結果的には1-4で敗れたものの、このゴールで日本中が一時期待しました。

もっとも、当時所属していた柏レイソルはチームの低迷期でした。2004年、J1を2チーム増やすために最下位のみが入れ替え戦出場という楽な条件で、まさかの最下位に終わり、涙に暮れた姿が記憶にあります。入れ替え戦で福岡に勝って辛くも残留したものの、翌年も16位で入れ替え戦に回り、甲府に敗れてJ2降格となり、玉田自身は名古屋に移籍して新たなキャリアを踏み出すことになります。

この名古屋時代が玉田が最も輝いた時期でした。ヨンセンなどのストライカーにアシストするウイングとしても活躍し、通算66得点を挙げる活躍でした。日本代表では72試合16得点と、あまり得点を量産したイメージはないですが、ドイツW杯の後も代表に招集され、4年後の南アフリカW杯でも2試合に出場するなど、のちの岡田武史監督の信頼も得ていました。

名古屋退団後は、当時J2のセレッソ大阪に移籍しました。この当時のセレッソ大阪は、4位でプレーオフ進出は決めていたものの、プレーオフ直前に監督が解任されるという難しいチーム作りが必要な状況でした。このときに、急遽就任した大熊監督が日本人のベテランでチームを編成することにして、結果こそ福岡に敗れて昇格はならなかったものの、玉田はこの急造チームのストライカーだったのは印象的でした。

最後はJ2の長崎でもプレーし、40歳までプレーした長持ちの選手でした。どうしてもライバルチームのFWということで、普段のリーグ戦の印象は柏や名古屋のサポーターには敵いませんが、今でも思い出せる選手として、写真を撮っておいて良かったとは思えました。

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