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井原正巳の記憶

2023-11-06 21:10:57 | 他チーム
元横浜M、磐田、浦和のCB、井原正巳さん(現柏監督)の記憶です。井原といえばCBで少し下がり目に陣取る「リベロ」という言葉を有名にした、日本代表時代の活躍が印象的です。1993年アメリカW杯予選は柱谷哲二と、1997年フランスW杯予選は小村と組んで、長年日本代表のCBといえば彼でした。守山高校時代はFWでしたが、ユース代表時代にCBにコンバートされます。

監督の好みが表に出やすいCBというポジションで、代表キャップ123試合は偉大です。オフト、ファルカン、加茂、岡田と歴代監督が彼をCBの軸と考えていた証明でしょう。読みとカバーリングのDFという印象で、所属の横浜Mでも井原と小村のCBコンビが長年定番でした。もっとも、浦和サポの私は、1997年の駒場での浦和戦で、デビュー戦だった永井雄一郎が井原をドリブルで翻弄した場面も思い出せますが。

1998年のフランスW杯本大会では、アルゼンチン、クロアチアという強豪と戦うために、秋田、中西をストッパーに置いて井原がリベロに入る3バックで戦いました。その戦いは3戦全敗に終わりましたが、井原がW杯という大舞台にギリギリ間に合ったというのは、今でも印象に残っています。また、CBにしては得点力があり、1995年にウェンブリーのイングランド代表戦でヘディングシュートで点を取った印象もあります。

浦和加入はキャリアの最晩年だった2001年です。当時、J1に戻ってきた初年度だった浦和が、課題のCBにベテランの彼の経験を必要としました。さすがに往年のスピードはなくなっていましたが、当時井原とコンビを組んだ新人だった坪井慶介さんにも、多くのものをもたらしたことと思います。2002年の現役最終年は、代表でも一緒だったオフト監督が、坪井、内舘がストッパーとして相手DFにマンツーマンで付き、後ろを井原がカバーする3バックで戦いました。

2002年は8連勝で一時首位に立つものの、そこから連敗して最後は残留がやっとの成績になりました。そのときにオフト監督が来季のリベロを新外国人のゼリッチに変えることを決断して、井原は浦和を去ることになります。引退後は柏のコーチ、福岡の監督などを歴任し、今は柏を率いています。彼の現役時代を知らないサポも増えたでしょうが、久しぶりに彼の姿を見てネタにしたいと、昔話をしてみました。

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