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アンカーを有名にした(阿部勇樹)

2021-11-22 22:53:39 | 浦和レッズ
阿部勇樹引退の記事で、そういえばこれを書いていないなと思った活躍がありました。それは、2010年南アフリカW杯での日本代表でのプレーです。当時日本代表を率いていた岡田監督は、予選の間は遠藤保仁と長谷部誠のダブルボランチが基本形でした。以前はアンカータイプだった遠藤保仁なので、この役割もこなしてくれましたが、大会直前の親善試合の韓国、イングランド、コートジボワールに3連敗と苦境に立ちます。

本田圭佑の1トップという奇襲がうまく行った岡田ジャパンでしたが、もう一つ手を加えたのがボランチでした。遠藤保仁と長谷部誠をそのままボランチに置きながら、その後ろに阿部勇樹を置いてアンカーに据える3ボランチで守りを固める手でした。中村俊輔を外しての阿部勇樹起用なので、守りにシフトした起用でしたが、これで守りの面では落ち着かせることができました。

この手を採用した日本代表は、カメルーンに1-0で勝ち、オランダにこそ敗れたものの最終戦のデンマーク戦で勝利し、2勝1敗の2位で1次リーグを突破して、パラグアイとの決勝トーナメントに臨みました。その試合は0-0からのPK戦で敗れこそしましたが、親善試合の3連敗からよくここまで状態を戻したと、岡田監督の手腕を感じたW杯になりました。

これで、「阿部勇樹=アンカー」という図式で語られ、阿部勇樹はアンカーという言葉を日本で有名にした選手ということになりました。もっとも、現実主義者の岡田監督は勝つためにはやりたくないサッカーもする監督で、パラグアイ戦で阿部勇樹を下げて中村憲剛を入れて中盤からの展開力を出そうとした交代を見ると、どうもこちらの方がやりたいサッカーだったようです。

このW杯での4試合出場も効いて、阿部勇樹は日本代表で36キャップを持っています。海外挑戦もイングランド2部のレスターシティで1年半プレーできました。中盤で守りを固めるなら阿部勇樹というのは、レッズでも効果が大きかったですが、彼にとってのキャリアのハイライトはこれだったなと、昔を思い出しました。

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