内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

言葉を選び取る責任、あるいは「迷い」という道徳的な贈り物 ― 古田徹也『言葉の魂の哲学』

2019-07-21 19:04:45 | 哲学

古田徹也の『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ、2018年)を読み終えたところだ。問題設定から結論に至るまで、著者自身が親切に各所に道標を立てながら書かれている。その何箇所かを引用すれば、自ずと本書の要約になる。

言葉に魂が入ったように表情を宿し始めること。ありふれた馴染みの言葉がふと胸を打つこと。言葉の独特の響きや色合い、雰囲気といったものを感じること。あるいは、それらのものが急に失われ、魂が抜けて死んだように感じること。―そうした体験をどのように捉えればよいのか。また、そうした体験は我々の言語的実践にとって、ひいては我々の生活や社会全体にとって、いったいどのような重要性があるのか。本書はこの問題を探究する。

第一章では、言葉の魂を主題化した作品の代表例として、中島敦の「文字禍」と、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールの「チャンドス卿の手紙」という二つの小説を中心的に取り上げ、両作品でそれぞれの仕方で主題化されている「ゲシュタルト崩壊」という現象を考察しながら、本書で扱う問題の輪郭が明確にされていく。

第二章と第三章では、ウィトゲンシュタインとカール・クラウスの言語論がそれぞれ取り上げられる。彼らは、言葉がふと際立って有機的なまとまりとして感じられる現象に強い関心を寄せている。また、言語を現実の代理・媒体としてではなく、むしろ現実の一部として捉える見方を提示する点でも彼らは共通している。そうした彼らの議論を追うことで、本書で扱う問題に対する回答の道が探られていく。

本書は、これらの考察過程を通じて、言語使用をめぐる一個の重要な倫理の存在を照らし出そうとする。それは、クラウスの言葉を借りれば、「言葉を選び取る」という、「最も重要でありながら、最も軽んじられている責任」である。ウィトゲンシュタインとクラウスによる言葉の豊穣な可能性を探る言語批判とは、「現実の生活の流れのなかで用いられる個々の言葉に注意を払い、吟味し、それらを相互的な連関の下で多面的に理解する実践である。そして、それが一個の極めて倫理的な実践にほかならないこと」を彼らはその実践を通じて示そうとした。

本書の締めくくりである第三章の第二節から、特に印象に残った箇所を摘録しておく。

粗雑な政治の言葉が行き交い、常套句が氾濫し、言葉が本当にヴェールと化していく社会を見つめながら、彼(=クラウス)は、人々が自分の話す言葉に耳を傾け、自分の言葉について思いを凝らし始めることに、戦争から遠ざかる一縷の望みを確かにつないでいた。

繰り返し流れてくる常套句、その音声上のリズムや抑揚にただ身を任せ、浸っているときに忘れ去られているのは、まさしくかたち成すものとしての言葉の側面であり、言葉を選び取るときに生まれる〈これではまだしっくりこない〉〈これでは……過ぎる〉といった「迷い Zweifel」である、そうクラウスは主張している。

そして、彼はこの「迷い」を、我々に対する「道徳的な贈り物(moralische Gabe)と呼んでいる。[中略]この迷いの感覚がとりわけ道徳的な贈り物であるのは、それが常套句の催眠術にかからないためのわずかな拠り所であるからだ。出来合いの常套句で手っ取り早くやりすごし、夢見心地でうっとりしているときに、言葉に意識を向けることはできない。迷うためには、醒めていなければならない。[中略]つまり、ここで求められているのは、醒め続けることであり、しっくりくる言葉を見出すまでは妥協しないよう務める責任、どこまでも自分を欺くまいとする倫理である。

自分でもよく分かっていない言葉を振り回して、自分や他人を煙に巻いてはならない。出来合いの言葉、中身のない常套句で迷いを手っ取り早くやりすごして、思考を停止してはならない。言葉が生き生きと立ち上がってくるそのときに着目し続けた二人の自然言語の使い手、「世紀末ウィーン」の申し子にして異端児たちが、それぞれの言語批判の活動を通じて絞り出したのは、詰まるところ、そうした単純な倫理である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


光を開示する彩り豊かな〈映し〉としてこの世界の現前を受容する神秘主義 ― プロティノスに抗して

2019-07-20 18:33:14 | 哲学

 ピエール・アド(Pierre Hadot, 1922-2010)は、1963年にその初版が刊行された自著 Plotin ou la simplicité du regard の第四版(Gallimard, 1997)の後書きで、初版には見られなかったプロティノス批判を表明している。第三版出版時(1988)、アドは、すでにプロティノス『エンネアデス』全訳という大事業に取り組み始めており、第三版の後書きで、全訳があるところまで進めば、それまでの自分のプロティノス理解も大幅な変更を強いられるであろうと述べていた。第四版では、初版の本文に相当の改変を施したばかりでなく、後書きで大きな変更点を列挙した後、その最後の段落でこう述べている。

Mais à mes yeux, ce « mystérieux », cet « indicible », ce « transcendant » ne sont pas à chercher seulement, comme le fait Plotin, dans la direction de l’Intelligence, des Formes et de l’Unité originelles, c’est-à-dire dans un mouvement de retrait par rapport à la multiplicité et au monde sensible, mais aussi, et peut-être bien plus, dans la direction de l’expérience vivante et concrète, du surgissement et de l’apparition des choses visibles. J’ai insisté, il est vrai, dans ce livre sur la valeur que Plotin accorde au monde sensible. Il n’en reste pas moins qu’il n’est à ses yeux qu’une réalité dégradée et inférieure, dont il faut s’éloigner. Pourtant ne peut-on découvrir aussi l’indicible, le mystérieux, le transcendant, l’Absolu peut-être, dans la richesse inépuisable du moment présent et dans la contemplation de la réalité la plus concrète, la plus banale, la plus quotidienne, la plus humble, la plus immédiate, et ne peut-on y pressentir la Présence toujours présente ? « Retranche toutes choses », disait Plotin. Mais dans une vivante contradiction, ne faudrait-il pas dire aussi : « Accueille toutes choses » ? (p. 200-201)

 プロティノスのように、感覚世界の多様なる諸事物を放下して、〈一〉なるものの方向に「神秘的なもの」「言い表しえないもの」「超越的なもの」を探すだけではなく、まったく逆方向に、つまり、この現在の瞬間の無限の豊穣さの中に、もっとも具体的で、もっともありきたりで、もっとも日常的で、もっとも些細で、もっとも直接的なものの中に「言い表しえないもの」「神秘的なもの」「超越的なもの」「絶対的なもの」を見つけることもできるのではないだろうか。この現在の瞬間において、つねに現在する〈現在〉に感づくことができるのではないだろうか。「すべてを消し去れ」とプロティノスは言う。しかし、私たちが生きる矛盾した世界の中では、「すべてを受け入れろ」とも言わなくてはならないのではないか。
 La philosophie comme manière de vivre (Le Livre de Poche, 2004 ; 1re éd., Albin Michel, 2001) の中で、この後書きの一節について問われ、アドは、プロティノスの立場をそれとして認めた上で、自らの立場をこう説明している。

Mais, en ajoutant : « Accueille toutes choses », j’ai voulu laisser entendre que, en face de cette mystique du retranchement, il y avait place pour une mystique de l’accueil, une mystique selon laquelle les choses ne sont pas un écran qui nous empêcherait de voir la lumière, mais un reflet coloré qui la révèle, et dans lequel « nous avons la vie », comme le dit Faust à propos d’une cascade, dans le prologue du Second Faust. On peut reconnaître dans les réalités les plus simples, les plus humbles, les plus quotidiennes, la présence de l’indicible (p. 136-137).

 私たちが見る諸事物は、光を見ることを妨げる遮蔽幕ではなく、その光を開示する彩り豊かな「映し」ではないのか。その映しの世界において私たちは生きているのであり、もっとも単純で、ささやかで、ありきたりの現実の諸相の中に、言い表しえないものの現前を私たちは認めることができるのではないか。
 言い表しえないものが棲まう現実を迎え入れるこのような神秘主義的経験の表現の例として、アドは、ホフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』の次の一節を引く。

別の日の夕方、クルミの木の下に、水の半分入った如雨露を見つけるとします。庭師の見習いが置き忘れたものです。如雨露の中の水は、木の陰で暗く、その水面をゲンゴロウが如雨露の暗い岸から向こう岸へと泳いでいます。そして、取るに足りない如雨露とその水とゲンゴロウとの組み合わせを目の前にして、私は、無限を目の前にした気になって戦慄を覚えるのです。髪の根毛からかかとの髄まで戦慄が走って、私は叫び出したくなります。もしかりに私が叫ぶ言葉を見つけたなら、私はあの智天使(ケルビム)の存在を信じませんが、そのときに叫ぶ言葉はきっと、智天使をすらひざまずかせることでしょう。

 しかし、このような無限の現前の戦慄的瞬間は持続しない。持続すれば、それは狂気へと導く。言葉によって定着させることもできない。そこにホフマンスタールの詩人としての苦悩もあったのだ。












「ゲシュタルト崩壊」、あるいは世界内存在にとって本源的なノスタルジー

2019-07-19 23:59:59 | 哲学

 ホフマンスタールは、『チャンドス卿の手紙』の中で、手紙の書き手であるチャンドス卿自身の経験として、現実の自明性が崩壊する精神の危機をこう叙述している。

私にはもう、ものごとを単純化する習慣の目で見ることができなくなってしまった。すべてが解体して部分に分かれ、その部分が解体して、さらに部分に分かれて、ひとつの概念ではなにひとつカバーできなくなったのです。(光文社古典新訳文庫、丘沢静也訳)

 同様な精神の危機をホフマンスタール自身が経験したことはその書簡から推定できる。このような状態から逃れようよして、チャンドス卿は、古典古代の世界に救いを求める。プラトンは、神話的イメージに富んでいて危険だとの理由で避け、セネカとキケロに特に頼ろうとした。概念たちが限定され整理されているので、それらの生み出すハーモニーが精神の健康を取り戻させてくれるのではないかと期待したのである。ところが、その結果として、さらに深刻な精神の危機に見舞われることになる。

たしかに私は、その概念たちを理解することができました。黄金のボールを吹き上げるみごとな噴水のように、その概念たちは私の目の前で、すばらしい関係ゲームを展開してくれました。私は概念たちのまわりに漂って、概念たちがやっているゲームを見ることができました。しかしながら、概念は自分たちだけでゲームをやっていたのです。私の思考のもっとも深いところにある人格的なことは、概念たちの輪舞から排除されたままでした。概念たちのあいだにいると、恐ろしいほど孤独を感じました。目のない彫像ばかりが立っている庭園に閉じ込められているような気分でした。私はまた外へ逃げ出したのです。(同訳)

 かつては「一種の持続した陶酔状態にあって、存在全体が大いなる統一のように見えていた」し、「あらゆる自然に、自分自身を感じていた。」「すべてが比喩であり、どのような被造物もほかの被造物に至る鍵である」と予感してもいた。ところが、そのような状態が失われてしまう。すると、すべてのものがよそよそしく、すべてが連関していたはずの世界から自分が疎外され、世界のただ中にあって、その世界から追放されたかのような孤独に襲われる。
 極稀に、自分の意志とは無関係に、突然、日常的な取るに足りない対象が崇高で感動的な相貌を帯びることがあるにはある。しかし、どんな言葉も貧しすぎて、その相貌を表現することができない。
 『チャンドス卿の手紙』に描出された「ゲシュタルト崩壊」という精神の危機は、世界内存在にとっての本源的なノスタルジーをその起因としていると思われる。












母語から遠く離れて、無弦のヴィオラやハープのように ― 故国追放の苦しみについて

2019-07-18 23:59:59 | 読游摘録

 『転身物語 Metamorphoses 』(あるいは『変身物語』)で有名な古代ローマの詩人オウィディウス(前43年-後18年)は、詩人としての名声を獲得し円熟期に入っていた後8年、時の皇帝アウグストゥス帝から、突然、黒海沿岸のトミス(現ルーマニアのコンスタンツァ)へ追放を命じられてしまう。その理由は明らかではない。首都ローマでの華やかな社交と安楽に浸ってきた詩人にとって、追放地での生活は悲惨であった。幾度となく繰り返された愁訴嘆願の甲斐もなく、10年をこの地で過ごし、不遇のうちに没した。この間、故国の妻、知己、有力者などに宛てて書かれた書簡体の詩が『悲しみの歌 Tristia 』(あるいは『歎きの歌』)である。
 ジャン・スタロバンスキーは、L’encre de la mélancolie(Éditions du Seuil, 2012)の中の « La leçon de la nostalgie » と題された章で、「ノスタルジー」という言葉が生まれる遥か以前に、この言葉の定義によく当てはまる経験が表現されていた例としてこの作品を取り上げている(op. cit., p. 286-290)。
 オウィディウスは、母語であるラテン語がまったく通じない異邦にあって、まるで「猿轡を噛まされた」ようだと苦しむ。「しばしばあることだが、何か言おうとすると、恥ずかしいことに、言葉が出てこない。私は私の言語を忘れてしまった。」英語の tongue やフランス語の langue には「言語」と「舌」という意味があるように、言語を忘れるということは、まさに舌が思うように動かなくなることでもある。
シェイクスピアの『リチャード二世』の中で、ノーフォーク公爵モーブレイは、国外追放の宣告を受けるやいなや、こう感じる。

Now my tongue’s use is to me no more / Than an unstring’d viol or harp

 もはや私の舌は言葉の歌を奏でることはない。今や私の母語は弦の張ってないヴィオラやハープのように何の役にも立たない。
 しかし、オウィディウスは抵抗する。自分の言語をそれがまったく通じない異邦にあっても話し続ける。「誰も私の詩を読める者はいない。誰の耳もラテン語を解さない。だから、私一人のために私は書く(それ以外にどうしろというのか)、私一人に向かって私は自分の詩を読む。」スタロバンスキーは、追放の身であることと自己に宛てて書くこと Sibi scribere との繋がりを強調する。












神学の哲学的濫用 ― ミッシェル・アンリ『受肉』におけるグノーシス批判について

2019-07-17 19:46:19 | 哲学

 グノーシス研究にとって、1945年にエジプトのナグ・ハマディという町でまったく偶然に発見された「ナグ・ハマディ写本」は、画期的な重要性を持っている。なぜなら、それまでのグノーシス研究は、ごく一部の例外を除いて、正統多数派教会の著作家たちによる反異端文書に依拠していたからである。つまり、正統サイドからの異端反駁の文書から異端サイドの主張を汲み取らなければならなかったということである。
 もちろん、研究者たちは、これらの反異端文書は「大本営発表」(筒井賢治『グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉』)にすぎないことは承知の上で、それらの文書から異端サイドの「生の声」を聴き取ろうと努力を続けてきた。しかし、それにはもちろん限界があった。そんな状況の中、キリスト教グノーシス側で書かれ、読まれたオリジナルの文書が大量に発見された。それが「ナグ・ハマディ写本」である(この写本についてご興味を持たれた方は、前掲の筒井書と大貫隆『グノーシスの神話』(講談社学術文庫)を参照されたし)。
 ナグ・ハマディ写本発見以前のグノーシス研究が依拠していた最古かつ最大の文献は、ガリアのルグドゥム(現在のフランスのリヨン)の司教であったエレナイオスが二世紀後半に著した『偽りのグノーシスの暴露と反駁』(通称『異端反駁』)である。なぜ私がこの著作に関心を持ったかというと、その仏訳 Irénée de Lyon, Contre les hérésies. Dénonciation et réfutation de la gnose au nom menteur, Les Éditions du Cerf, 3e édition, 1991 をミッシェル・アンリが Incarnation の中でかなり頻繁に引用しているからである。
 なぜアンリはエレナイオスに強い関心を持ったのか。一言で言えば、乱暴な言い方になるが、自身の生命の現象学においてイエス・キリストの受肉の問題を扱うのに都合のよい言説がエレナイオスによって展開されているからである。
 エレナイオスは『異端反駁』の第三巻以降で積極的に自分の神学を披瀝している。「その核心は、さまざまなグノーシス主義教派が旧約聖書の神を無知蒙昧な造物神に貶める一方、その造物神の支配から人間を救い出す救済神をそれとは別に立てたのに対して、創造神と救済神が同一の神であるべきことを、壮大な「歴史の神学」を構想して論駁することにある。」(大貫隆『グノーシスの神話』)
 この神学においては、当然のことであるが、神の独り子の受肉も必然的な過程として統合されている。この受肉の必然性をアンリは自身の生命の現象学において「現象学的に」根拠づけようとしたのである。まあ、アンリをご存知の方には申し上げるまでもないが、すべては、「どこを切っても金太郎」的ないつもの「アンリ節」の言説の中に回収されてしまう。正直に言えば、読み直していて、辟易した。これはもう現象学でも、哲学でもない。神学の哲学的濫用は似非神学でしかない。
 別にグノーシスに肩入れしようというのではない。グノーシスの歴史的研究の無視というお門違いな非難を投げつけようというのでもない。ただ、グノーシスが提起している問題をヴェイユのように現代社会においてそれとして真剣に考察することもなく、正統派サイドの古代の教父の著作に依拠して異端派グノーシスの主張を「今さら」反駁したところで、そんなことにいったいなんの意味があるのか。












「神なき世界」において神を「知る」ということ ― シモーヌ・ヴェイユとグノーシス主義

2019-07-16 18:57:13 | 哲学

 シモーヌ・ヴェイユは、カタリ派について、その旧約聖書批判以外について何を知っていたのか。ヴェイユはカタリ派およびグノーシス主義の肝要な一点を捉えていたとペトルマンは言う。

Le point essentiel du catharisme, comme du gnosticisme, c’est que la coupure entre Dieu et le monde est plus profonde qu’elle n’apparaît dans le christianisme ordinaire, plus profonde surtout que ne semble l’enseigner l’Ancien Testament. (Par monde, ils entendaient, comme l’évangile de Jean, à la fois le charnel et le social.) Gnostiques et cathares distinguaient Dieu du monde, non seulement en ce sens que Dieu est personnel (quand les catholiques parlent de la transcendance de Dieu par rapport au monde, ils entendent simplement que Dieu est personnel), non seulement en ce sens qu’il y a une différence infinie entre Créateur et créature, mais en ce sens que Dieu est vraiment au-delà du monde, c’est-à-dire, en un sens, absent du monde ; que celui-ci est avant tout l’empire des puissances, l’empire des forces. Quand ils disaient, sous forme mythique, que le créateur et souverain du monde est distinct du vrai Dieu, tout en étant issu de lui d’une certaine façon, ils voulaient dire que le monde a sa loi propre et que les événements du monde ne sont pas directement l’expression de la volonté divine, l’expression du Bien. Simone exprimera la même idée en disant que, pour créer, Dieu s’est retiré d’une partie de lui-même et a fait place à la nécessité. Sur ce point, qui est essentiel, elle s’accorde donc avec le catharisme et le gnosticisme, tout en usant d’une image différente.

Simone Pétrement, La Vie de Simone Weil, Fayard, 1997 (1re éd. 1973), p. 537.

 グノーシス主義は、一般のキリスト教よりも、特に旧約聖書よりも、神と世界との断絶を徹底化させる。神の世界に対する関係は、単に世界に対して人格神として超越的あるというのではなく、また、創造主と被造物との間には無限の隔たりがあるということにとどまるのでもなく、神はまさに世界の「彼方」にあるのであって、その意味で、世界に「不在」だとグノーシス主義諸派は考える。たとえ世界は神から生まれたとしても、世界の造物神と真の神は区別され、したがって、世界におけるいかなる出来事も、神意の直接的な表現ではありえない。
 「多くの場合、キリスト教グノーシスにおける「認識」の対象は、イエス・キリストが宣教した神(=至高神)とユダヤ教(旧約聖書)の神(=創造神)は違うということ、創造神の所産であるこの世界は唾棄すべき低質なものであること、人間もまた創造神の作品であるが、その中に、ごく一部だけ、至高神に由来する要素(=本来的自己)が含まれているということ、救済とは、その本来的自己がこの世界から解き放たれて至高神のもとに戻ることなのだということ」(筒井賢治『グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉』)、これらのことを認識(グノーシス)することがグノーシス派に共通する志向である。
 ペトルマンによれば、ヴェイユは、「創造のために、神は自らの一部から身を引き、それを必然性に委ねた」というとき、カタリ派およびグノーシス主義とは異なった表象に訴えながら、本質的な一点において彼らと一致する思想を表明している。
 「神なき」世界である現代において、至高神と創造神とを分断し、後者を貶め、前者への回帰を本来的自己の救済とするグノーシス主義への関心が高まっていると言われる。肝要な点においてグノーシスと世界認識を共有しているヴェイユの思想をそのような思潮の文脈の中で読み直すとき、その思想の「現代性」が際立つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


シモーヌ・ヴェイユを読みながら現代日本社会のことを考えていたら、初期キリスト教グノーシスに遡らざるをえなくなった

2019-07-15 22:31:02 | 哲学

 ここ数日間、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を拙ブログで話題にしてきた。そうするきっかけは、いわば職業的な必要性にあった。だが、『陰翳礼讃』を繰り返し読んでいるうちに、興味深い問題がいくつも見えてきて、記事を書いていて楽しかった。九月から学生たちと読むのが楽しみである。
 それと並行して読んでいたのは、シモーヌ・ヴェイユであった。フランスに来る前からヴェイユにはずっと関心を持っていたし、折に触れて読んでもいた。しかし、ここ数日読んでいたのには別に理由があった。漠然とした言い方だが、現代日本社会に生きる困難さの意味を考えるために、ヴェイユの思想はとても大切だと思ったのである。
 ヴェイユが1934年から翌年にかけて工場労働者として働いていた時期に書いていたノート・書簡・雑誌に掲載された省察などを読みながら、ヴェイユがその経験を通じて過酷な現実の中から見出そうとした真理について考えていた。しかし、まだ話題できるほどこちらの考えがまとまっていない。
 そうこうしているうちに、これは私にはよくあることなのだが、ちょっと気になったことを調べようとしてそちらに深入りしてしまって、収拾がつかなくなっている。それは職業的義務とも個人研究のテーマとも直接のかかわりのない問題だから、放っておけばよさそうなものだが、それでは済まされない大きな問題に行き当たってしまった。
 ヴェイユは、1940年あたりから中世におけるキリスト教異端の一派カタリ派に強い関心を示し、共感もしていた。それはなぜか。シモーヌ・ペトルマンの伝記によれば、カタリ派の主張する旧約聖書批判に自らのそれとの一致点を見出したからである。より積極的な言い方をすれば、ヴェイユは、カタリ派の思想の中に、ローマ帝政期以降キリスト教がその拡大とその権威の確立とともに失っていった可能性、ローマ帝政期以前の非キリスト教思想とキリスト教との統合の可能性を見ていた。
 このカタリ派のことをよく理解するためには、グノーシス主義の歴史を知らなくてはならない。ペトルマン自身、グノーシスについて優れた研究を遺した哲学史家であり、その一端がヴェイユ伝にも披瀝されている。
 そこを再読してしまったのが「運の尽き」である。グノーシス研究は、ドイツが本場であるが、近年は日本でも優れた研究がいくつか出版されている。電子書籍で入手できるのは、大貫隆『グノーシスの神話』(講談社学術文庫2014年、初版岩波書店1999年)と筒井賢治『グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉』(講談社選書メチエ2004年、電子書籍版2015年)である。即購入(ちょうど HONTO で講談社の本の25%割引セール中だったし)。
 今朝からずっとこの二書を夢中になって読んでいた。他にも考えるべき問題があるというのに、まことに困ったものである。












「きよし」「さやけし」「きらきらし」― 陰翳の美学のはじまり以前の日本人の美の基準

2019-07-14 18:24:54 | 哲学

 『陰翳礼讃』には、谷崎自身の経験に基づいた繊細微妙な感覚美の見事な描写と文明論として性急とも強引とも見えかねない一般的断定とが交錯して現れる。前者を読むことは、その名人芸を歎賞するという文芸的な美の体験であり、愉悦の時間でもあるが、後者は、美についての瞑想へと読むものを誘い込む挑発性に富んでいる。
 例えば、日本座敷の美を論じている節で谷崎はこう述べている。

美というものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない。

 谷崎は、自らの直観に基づいた見方を示しているだけで、何もそれを学術的に論証しようとしているわけではないのだから、美学、建築史、あるいは美術史等の観点からこの見方が支持されうるかどうかは、ここで問われるべきことではないかも知れない。しかし、私はここを読んでしばらく立ち止まらざるを得なかった。
 単に暗い部屋に住むことを余儀なくされただけで美の発見が約束されるわけではない。陰翳のうちに美を発見するには、その発見以前に美の経験がなくてはならず、且つそれまでの生活を変化させる現実的契機がなくては、陰翳の美をそれとして洗練させていくこともできない。
 それに、われわれの先祖とは、いつの時代のどの地域のどの階級の先祖を指すのか。こんな問いは谷崎にはどうでもよいことだったかも知れない。たとえそうだとしても、陰翳が美的価値として建築・絵画・彫刻・芸能において最重要視されるようになるのはいつの時代からなのか、はっきりさせておきたいと私は思う。
 この問いへの答えを探すための手がかりの一つとして『現古辞典』(河出文庫、2018年)を引いてみた。「うつくしい」の項には、「うまし」「うるはし」からはじまって多数の古語が挙げられているが、その列挙の後の補注に目が止まった。

奈良時代では[…]、「きよし」は川・水・川音・月光などに使われ、澄みきって汚れのない清浄な美しさを表し、「さやけし」は、同じような対象に使われるが、すがすがしさを感じさせるような対象の明るくくっきりした美しさを表す。「きらきらし」は容姿の整っていて端正な美しさを表す。「うつくし」はまだ美を表す語ではなく、優位の立場の者が抱く肉親的ないし肉体的な愛情を表すものであった。これらの言葉から上代の美の基準が鮮明・透明・明瞭といった観点にあることが分かる。

 とすれば、上代は、陰翳の美とは無縁、むしろそれと対極的な美意識が優位であったということになる。中古については、特に手がかりとなる記述を見いだせなかったが、もし「陰翳」という概念が「幽玄」や「さび」と類縁性を有しているとすれば、陰翳の美学のはじまりは、中世に求めるのが穏当であるということになる。












陰翳は影ではない ― 翳りと闇の諧調の美学

2019-07-13 23:59:59 | 哲学

 『陰翳礼讃』は多くの外国語に訳されている。「陰翳」というニュアンスに富んだそれ自体が美しい言葉を、欧米語訳では、「影」を意味する shadow(英)、ombre(仏)、Schatten(独)、sombra(西)に置き換えている。ピタリとくる同意語がないのだから、これはもちろん致し方のないことだ。しかし、欧米語で「影」に相当する語はいずれも、光の進行を妨げるものによって地面・壁面等に投射されたそのものの暗い形というのが原義であり、それ自体は美学的価値ではありえない。谷崎のいう陰翳がただの影ではないことは本文を読めば明らかであるから、訳者たちは、本文に出てくる「陰翳」には、それぞれ文脈に応じて様々な言葉を充てて訳す工夫をしている。
 谷崎自身は、『陰翳礼讃』の本文の中で「陰翳」という言葉を二十二回使っている。「影」という語は一度も使っていない。この漢字を含む「影響」が二回、「幻影」と「灯影」がそれぞれ一回のみ。「蔭」という語は十六回使用されているが、光と影との対比における「影」という意味ではなく、光の差さない場所、目立たぬ場所、物陰等の意味で使われている。
 「陰翳」という語がどう訳されているか見てみようと、手元にある新旧二つの仏訳、René Sieffert 訳 Éloge de l’ombre (POF, 1978 ; Verdier 2011) と Ryoko Sekiguchi & Patrick Honnoré 共訳 Louange de l’ombre (Piquier, 2017) と原文を照らし合わせみた。
 米国映画とフランス映画・ドイツ映画とを比較して「陰翳や、色調の具合が違っている」と谷崎が言っているところでは、「陰翳」はそれぞれ « les jeux d’ombres » « les nuances d’ombre » となっている。「陶器には漆器のような陰翳がなく、深みがない」では、 « les qualités d’ombre » « la qualité d’ombre »。たまり醤油について「あのねっとりとしたつやのある汁がいかに陰翳に富み、闇と調和することか」と称賛しているところでは、 « cette sauce gluante et luisante gagne beaucoup à être vue dans l’ombre » « richesse de clair-obscur »。「われわれの料理が常に陰翳を基調とし、闇というものと切っても切れない関係にあることを知るのである」というところは、 « notre cuisine s’accorde avec l’ombre, […] entre elle est l’obscurité il existe des liens indestructibles » « notre cuisine a toujours reposé sur le clair-obscur, a toujours été indéfectiblement liée à l’ombre » となっている。
 この最後の箇所の二つの仏訳の原文からの乖離と両者相互の乖離はとても示唆的である。陰翳は、光と対立するものとしての影ではない。闇もまた、光と対立するのではなく、陰翳の背景となり、それに奥行きを与えつつ、空間全体に調和を与える、いわば見えない場所のようなものだ。光と影(あるいは闇)の対立を基軸とした美学と翳りの諧調とその無限変奏に価値を置く美学との違いが、まさに翻訳の困難さゆえに、ここに鮮やかに現れている。












来年度日仏合同ゼミ課題図書 ― 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

2019-07-12 19:51:39 | 講義の余白から

 ベルクソンの『物質と記憶』の世界の探検を放棄したわけではない。次に考えてみたい問題が過去と記憶の問題で、ここに私の主な関心もあるので、もう少しテキストをじっくり読んでから立ち戻りたいと思っている。
 毎年二月初めに、法政大学の哲学科の学部生たちとストラスブール大学日本学科の修士の学生たちとの合同ゼミが行われることは、このブログでも毎年その時期になると話題にしてきた。私が担当し始めたのは二〇一五年からで、来年二月で六回目になる。九月からそれぞれ授業の枠内で共通の課題図書を読みながら合同ゼミの発表を準備していくのだが、その課題図書を決め、法政のA 先生にご提案し、ご承認をいただいたのが今週の月曜日だった。
 今年ゼミ終了直後から来年の課題図書を早速探し始め、オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』(角川ソフィア文庫)にほぼ決めかけていたのだが、その仏訳を最近読み直してみて、原テキストそのものの難しさゆえということもあるだろうが、仏訳に問題箇所が散見され、結局、これは使えないと判断するに到った。内容そのものは実に興味深いし、日本語訳の方は信頼できる訳なので、残念だが、仕方ない。
 選んだテキストは谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』である。日本の美学に関心を持つ者であれば、一度は読んでおくべき作品である。原テキストは、文庫本で五、六十頁と短いから、数ヶ月かけて原文を徹底して精読できる(こちらでは、新旧二つの仏訳の比較検討もその過程に含まれる)。本作品は、日本固有の伝統美の粋としての「陰翳」の称賛に尽きるものではなく、より普遍的な美学的問題を内包している。技術文明と伝統美の調和、西洋の美意識との比較、生活空間における光と影の関係、建築・工芸・芸能など多様な分野における美の表現等々、様々な問題領域への考察の展開も可能である。
 来年度は、ここ数年のプログラムの順序を変更し、合同ゼミの冒頭に講演を持ってくることにした。毎年、専任教員が順番に講演を担当してきたのだが、それが一巡して来年は私が担当する。そこで、その講演をプログラム全体の「キーノート」にしようというのがその意図である。これから半年間、私自身『陰翳礼讃』を精読し、日本語での『陰翳礼讃』論だけでなく、仏語の美学関連書籍にも広く目を配り、周到な準備をするつもりである。