内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

精神の恒常的懸垂状態 ― 夏休み日記(37)

2017-08-22 13:51:29 | 雑感

 大いに大げさな言い方だけれど、二十一年前にフランスに来てからの自分の心の底の恒常的精神状態を具象化してみると、ずっと鉄棒に懸垂状態にある、とでも言えばよいであろうか。
 より詳しく言うと、なんとか器械体操でいうところの懸垂を試み、頭を鉄棒の上まで両腕の力だけで持ってこようと足掻きながら、それができず、しかし、それでもあきらめきれずに、性懲りもなく鉄棒にぶら下がっている状態ということになろうか。
 しかも、鉄棒は分不相応に高い位置にあり、下手に手を放すと着地の際に骨折しかねないほど地面から遠い。
 長時間ぶら下がっていれば、当然腕は痺れてくるし、徐々に自分自身の体重によって下方へと引っ張られていく。遅かれ早かれ、自分自身の重みに耐えかねて、落下するだろう。
 そんなにっちもさっちもいかない状態から早く自分を解放してやりたいと思うことが一再ならずある。が、どうすればいいのかわからない。いや、わかっている。誰も助けてくれない以上、両手を放して地面に落下するに任せるのが唯一の解決方法なのだ。
 幸い生命を危険に晒すほどの高さではない。うまくすれば軽い骨折くらいですむかも知れない。このまま無理を続けても何が得られるわけでもなさそうではないか。「もう、いいか」という思いが頭をよぎる。
 でも、放してしまったら、もう二度と同じ高さの鉄棒に飛びつくことはできない。再度そう試みるにはそれはもうあまりにも高いところにある。
 地に落ち、そこで這いつくばって生きることを格好悪いと嫌忌しているのではない。生きていてなんぼ、であろうから。
 だが、あきらめることはいつでもできる、頑張れるところまでは頑張ってみようと、今日もまた、鉄棒より上方を見据えながら、両腕に渾身の力を込める。











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