内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

夢見騒がし ― ホワイトヘッド、ドゥルーズ、空の思想 ― 爽快な青空

2021-08-09 18:07:07 | 雑感

 今朝はいつものように午前4時に起きることができませんでした。昨晩、珍しく、午前1時まで読書をしてしまい、さすがに3時間睡眠で起きるのがつらかったのです。それでも6時には起床しました。ただ、とても夢見騒がしく、目覚めたのちも不快な気分が身中に淀んでいて、すぐにジョギングに出かける気にはとてもなれませんでした。
 この夢見騒がしさは、ほぼ間違いなく、今月末までに原稿を仕上げなくてはならない日本思想関係の仏語事典の執筆項目のことが気にかかっているからです。一年以上前に依頼されていたことで今更言い訳は効きません。もちろん、忘れていたわけではなく、折に触れてメモは取ってきており、執筆するからには恥ずかしくないものを、他の事典にはない情報と視角と切り口を提示したいと準備してきました。
 午前中は、その執筆準備の一環として、ドゥルーズとホワイトヘッドのテキストを読み漁っていました。こういう、傍からは、なんでそういうことになるのよと呆れられなくもない、えらく迂遠な、上を下への大騒ぎ、実は嫌いではないのです。楽しんでいると言っても過言ではないかも。だから碌な仕事ができないのでしょうけれど。
 それらのテキストはこの事典項目執筆のためにかねてより念頭に置かれていたわけではもちろんなく、昨日、三木清の『人生論ノート』の中の「瞑想について」に出てくる「過程的」をどう一語でフランス語に訳すか頭を悩ませていたとき、ホワイトヘッドの『過程と実在』の仏訳を覗いてみてヒントを得られず、ドゥルーズの『襞』の第6章を走り読みしてやはり手がかりを得られず、「だめか~」とため息をついているとき、「あれっ、ホワイトヘッドの有機体の哲学って、先週終えたばかりの集中講義のメイン・テーマだった空の思想とリンクするじゃん」と、事典の執筆項目とはほとんど何の関係もありませんが、私的にはかなり重大なことに気づき、すると、思いもかけず、事典執筆項目の構想が形に成りはじめたのです。
 その形成過程は、それまで室内に散乱していた、一見相互に無関係なアイテムたちが、既存の秩序とは違った仕方で、新たな原則に従って、それぞれに所を得て、全体として一つの調和を成すように置き直されるような出来事で、これは一つの美の体験でもあるのです。私の小賢しい作為でそうなるのではなく、「自ずと」そう成るのです。
 「これでいけるかも」と原稿の構想がかなり明確になると、気持ちもそれだけ明るくなり、「じゃあ、走るか」という気に自ずとなり、11時過ぎにジョギングに出かけました。走る前のストレッチを省略したので、走り始めはゆっくり、後半盛り返すつもりで、ライン川土手に着いた地点からペースアップ。結果として、1時間26分で14キロ。目標より2分遅れ。でも、気分は今日の久しぶりの青空のように爽快でありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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