内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

大聖堂の建築現場で働く外国人労働者のように ― vocation について

2014-11-28 17:48:00 | 雑感

 当代随一の日本人パスカル研究者である塩川徹也氏は、一九七五年、パリ・ソルボンヌ大学に、第三課程フランス文学博士号の学位請求論文として提出され、三年後の一九七八年に出版された Pascal et les miracles (Editions A.-G. Nizet) によって、本国フランスでも極めて高く評価されて以来(同書は今でもパスカル研究の専門書の文献表には必ずといっていいほど載っている)、仏語と日本語との両方で多数の論文を発表されている(上記の本の日本語版は一九八五年に岩波書店から『パスカル 奇跡と表徴』として出版されている)が、二〇〇三年に出版された論文集『パスカル考』(岩波書店)の「あとがき」で、「いろいろの機会に書いたことだが」と断った上で、次のように述べている。

フランスの文学と思想を、本場の土俵でフランス語によって研究することは、いわばノートルダム大聖堂の建造に外国人労働者として参加するようなものである。石を切って積むのは日本人だとしても、所定の場に組み込まれた石は、フランスの地に根を張った建造物の一部であり、それ自体は故国に持ち帰ることはできない。かりに複製を持ち帰ることができたとしても、それをそのまま日本文化に組み込むことはできない。もちろん日本でも日本語によるフランス文学研究が行われているが、それは言ってみれば、茶室か寺院の建築を目指している。大聖堂の部品をそのまま寺院の建材に転用するわけにはいかない(三五一頁)。

 この文章を初めて読んだとき、その学者としての厳しい覚悟と謙虚な自己限定とに心打たれたものだが、翻って我が身のことを顧みて、別にこの超一流の学者に自分のようなつまらない者を引き比べようなどという不遜な気持ちは微塵もなくとも、やはり何とも情けなく、いったい自分は何をやっているのかと自責の念にかられざるを得なかった。
 フランスの大学の教員であり、したがってフランスの国家公務員の一員であったとしても、外国人労働者であることには変わりなく、そこだけは自分にも当てはまるが、そのことを除けば、自分のこれまでの仕事(そう呼べるとしての話だが)は、何かの建造物に組み込みうるような、そのくらいには堅固なたった一つの石を切り出すことにさえ成功していない。当然のことながら、それがそのまま使えるかどうかは別として、日本に持ち帰り日本の社会・文化の中で何らかの仕方で生かせるような業績も蓄積もない。これまで書いて発表したものなど、すべて淀みに浮かぶ泡沫の如きものである。
 たとえ無名の石工であっても、大聖堂の建築現場で働いたことにはそれとして矜持を持ちうるであろう。だが、私はそのような現場で働いたことさえない。仮に働こうとしたとしても、自分の貧しい力量では、労働許可さえ下りなかったことであろう。そして今からそのような現場で働こうとしても、もう年齢的に無理、遅すぎる。いったいこれから何をすればいいのか。ただ与えられた機会に応じて、お茶を濁すだけのような発表をしたり論文を書いたりして、「上滑りに滑って」行くほかはないのだろうか。
 しかし、ここまで書いてきて、このような思いそのものが上滑りであると気づく。その時の気分に流されて、自分のヴォカシオン(vocation)を聴き逃してはなるまい。

























最新の画像もっと見る

コメントを投稿