内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

西田の「個物」とジャン=リュック・ナンシーの「複数にして単数の存在」が共振する場所

2021-08-28 13:59:06 | 雑感

 昨日の朝も今朝も走った。昨日は、走りはじめて40分程して雨が降り始め、雨脚も次第に強くなり、すぐに止みそうになかったので60分で切り上げた。9,7キロ走る。今日は1時間半で14,7キロ。第二回目接種からすでに75時間以上経過しているが、何の副反応も現れていない。血中酸素飽和度は毎朝測っているが98~99%で安定している。
 昨年春のコロナ禍以来、体調管理にはそれまで以上に注意するようになったが、この三ヶ月は、自宅で簡単に計測できる数値を毎日確認することで、さらに細かく体調の変化を観察してきた。あまり日毎の変化に神経質になるのは無意味だが、週単位で観察すると数値に有意な変化があることがわかる。
 体組成計の数値は概ねより良い数値へと推移していったが、8月中旬の体脂肪率の変化は興味深かった。運動の負荷を増やして体重が急速に減ったとき、逆に体脂肪率が一挙に上がったのには驚かされた。その原因は一時的な筋肉量の減少だったと見て間違いない。昨日の計測時、BMIは21,6と体重は半月前より増えているのだが、体脂肪率は12,4%まで下がっていた。相対的に骨格筋率は上がっている。それだけ筋肉量が増えたということである。
 昨日は一日、ナンシー先生のご著書のいくつかをところどころ読んで過ごした。書名のみ列記する。カッコ内は初版刊行年。La communauté désœuvrée (1986), Être singulier pluriel (1996), Hegel. L’inquiétude du négatif (1997), L’intrus (2000), La Communauté désavouée (2014), Exclu le juif en nous (2018).
 Être singulier pluriel (本書には邦訳『複数にして単数の存在』松籟社 2005年がある)はことのほか思い出深い。渡仏した1996年に刊行された本で、ストラスブールに着いてすぐに購入して読みはじめ、何かとても心に触れてくるものを感じた。2003年の博士論文公開審査のとき、指導教授のフランシス・ギバル先生(ヘーゲルとレヴィナスのスペシャリスト。ストラスブール大学哲学部でナンシー先生の同僚であり、二人はほぼ同世代)が、講評の中で、「君の西田の「個物」についての解釈はジャン=リュック・ナンシーの « être singulier pluriel » を思い起こさせる」と仰られたのには驚きかつ嬉しく思ったことを思い出す。博論執筆中に特に同書を意識したことはなく、引用もしていないが、もし私の西田哲学の解釈とナンシー先生の哲学とに響き合うところがあったとすれば、先生の指導を受け、ストラスブール大学哲学部で西田についての研究で博士号を得たものとして、そのことを誇りに思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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