内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

三木清『パスカルにおける人間の研究』を読む(十五)―「無とすべての中間」としての人間

2023-11-01 14:30:48 | 哲学

 今日は、『パスカルにおける人間の研究』を離れ、パスカルにおける milieu についてずっと考えていた。この一語が今月末のパリ・ナンテール大学のシンポジウムでの発表のキーワードになる。
 Vincent Carraud 氏の Pascal et la philosophie, PUF, 2e édition, 2007 (1re édition, 1992) ; Pascal. Des connaissances naturelles à l’étude de l’homme, Vrin, 2007 ; Pascale : de la certitude, PUF, 2023 の関連箇所を繰り返し読みながら、パスカルにおける milieu のより正確な理解に努めた。
 『パンセ』の « milieu entre rien et tout »(S230, L199, B72)を三木清がどう理解したか。それがデカルトの « medium quid inter Deum et nihil » とどう違うと三木は見ていたか。三木がマールブルクで聴いたハイデガーの講義がパスカルにおける milieu の理解にどのように生かされているか。そして、『パスカルにおける人間の研究』での人間の生の存在論解釈が、ハイデガーの『ニーチェ』に見られるパスカルの評価をいかに先取りし、かつそれをいかに独自の仕方で展開させているか。これらの問いに順次答えていくことを通じて、三木のパスカル論を一つの真正な哲学的探究として評価し、そこからどのよう問題を今日引き継ぐべきかを結論として示す。これが発表の骨子である。
 といっても、発表原稿はまだ一行も書いていないし、ただ読み上げればいいような完成原稿は書かない。その代わり、パワーポイントは入念に準備する。そこに言いたいことはすべて盛り込む。その準備と並行して、発表のイメージトレーニングを繰り返す。これも全体の見通しをはっきりさせる程度にとどめ、あとは当日の即興に余地を残しておく。普段の授業の準備もだいたいこの方式である。これが私にとっては一番話しやすい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿