内的自己対話-川の畔のささめごと

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「病気の境涯に処しては、病気を楽しむ」― 正岡子規による『一年有半』評について(二)

2016-02-02 08:59:04 | 読游摘録

 正岡子規『病床六尺』七月二十六日の記事は、それが拙ブログの今回の一連の記事のテーマである中江兆民『一年有半』に言及している記事であるということとはまったく独立に、生・病・死について私たちに考えさせる内容を有っている。
 『病床六尺』は、文庫本でも「青空文庫」等ネット上でも簡単に入手できるテキストではあるが、七月二十六日の記事の全文をまず以下に掲げよう(原文にある傍点や振り仮名等はこれを省略した)。

或人からあきらめるといふことについて質問が来た。死生の問題などはあきらめてしまへばそれでよいといふた事と、またかつて兆民居士を評して、あきらめる事を知つて居るが、あきらめるより以上のことを知らぬと言つた事と撞着して居るやうだが、どういふものかといふ質問である。それは比喩を以て説明するならば、ここに一人の子供がある。その子供に、養ひのために親が灸を据ゑてやるといふ。その場合に当つて子供は灸を据ゑるのはいやぢやといふので、泣いたり逃げたりするのは、あきらめのつかんのである。もしまたその子供が到底逃げるにも逃げられぬ場合だと思ふて、親の命ずるままにおとなしく灸を据ゑてもらふ。これは已にあきらめたのである。しかしながら、その子供が灸の痛さに堪へかねて灸を据ゑる間は絶えず精神の上に苦悶を感ずるならば、それは僅かにあきらめたのみであつて、あきらめるより以上の事は出来んのである。もしまたその子供が親の命ずるままにおとなしく灸を据ゑさせるばかりでなく、灸を据ゑる間も何か書物でも見るとか自分でいたづら書きでもして居るとか、さういふ事をやつて居つて、灸の方を少しも苦にしないといふのは、あきらめるより以上の事をやつて居るのである。兆民居士が『一年有半』を著した所などは死生の問題についてはあきらめがついて居つたやうに見えるが、あきらめがついた上で夫の天命を楽しんでといふやうな楽しむといふ域には至らなかつたかと思ふ。居士が病気になつて後頻りに義太夫を聞いて、義太夫語りの評をして居る処などはややわかりかけたやうであるが、まだ十分にわからぬ処がある。居士をして二、三年も病気の境涯にあらしめたならば今少しは楽しみの境涯にはひる事が出来たかも知らぬ。病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない。

 この文章の中で、子規は、兆民をその死後七ヶ月も経った後で死者に鞭打つがごとくに批判しているのだろうか。私にはそうは読めない。前年、新聞『日本』紙上で、学識ある先達としての敬意を兆民に払いつつ、病人としては自分の方が先輩だと意識的に自分の位置をユーモアとともに兆民の上に置いていた子規は、実のところ、「平凡浅薄」と罵倒した『一年有半』の兆民を今の自分がいかに超えるのかという問題をこの記事の中で改めて自分に突きつけていると私には読める。
 「病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない。」未来における治癒の可能性が完全に絶たれているとき、これから先への「希望」を持って生きることはもはやできない。病人である今の自分をいかに楽しむか。「賭け」はそれに尽きる。生きている「面白味」は、現在の病中の各瞬間に見出されるのでなければ、どこにもない。
 限られた時間の中で日々の思いを日々書くという行為が、遠からぬ死から目を背けるための慰みあるいは気晴らしに尽きるものではなく、その日々のそれぞれの恵まれた時を「楽しむ」ということであるときはじめて、残された日々の一日一日は「面白味」を持つことができるのだろう。
 子規は『病床六尺』の記事を新聞『日本』紙上に没年の五月五日付から九月十七日付まで掲載している。掲載が始まった五月には、とりわけ病床に呻吟したのであろう、九日、十一日、十五日から十七日までの三日間、十九日から二十一日までの同じく三日間、記事がない。しかし、それ以降は九月十六日を除いて、一日の欠けもない。九月十二日の記事から極端に短くなり、しかも我身を苦しめる拷問の如き苦痛について三日続けて記す。十七日の最後の記事の二日後、十九日午前一時頃、子規は息を引き取る。


















































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