内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

夏休み日記⑳ 悲喜交々、馬齢を重ねつつ、これからの罪の償いを想う

2014-08-23 00:13:36 | 雑感

 昨日朝、何度か研究会で世話になったことがあるアルザス欧州日本学研究所のスタッフの一人から、プライベートで日本から旅行に来ている先生が会いたいと言っているが都合はど うかというメールが突然届く。存じ上げている先生であり、こちらも特に予定がなかったので、喜んでご一緒するとの返事をすぐに返す。昼、カテドラルのすぐ近くのアルザス地方料理専門の有名店の一つ Muensterstuewel で、ストラスブール大の同僚も一緒に会食。
 話題は主にその先生の現在置かれている極めて困難な状況についてだった。私にはそれがその先生にだけ生じた特殊な問題とは思えず、何か現代日本社会の構造的な歪みの一つの結果のように思われた。話を聞きながら、日本の大学は、一つの閉鎖的な権力構造を形成しており、それが独立行政法人化によって拍車をかけられ、学内には民主主義の理念も希薄になり、基本的人権の尊重も疎かにされ、何よりも他者の立場に立って考える他者感覚の欠如は深刻なまでに進行しているとの印象を持たざるを得なかった。
 夜には娘に電話をして、パリ政治学院の留学生向けウェルカム・プログラムの初日の様子を聞く。全般的な説明は英語、その後小グループに分かれてのオリエンテーションは仏語だったという。新入生の45%が外国人学生、その国籍は80カ国に上るとのこと。話を聞いていると、一昨日昨日に比べて、娘の声が若干明るくなっているのが分かる。新しい世界への扉が開かれていくことにワクワクし始めているのだろう。
 さて、今日、八月二十三日は、私の誕生日である(だから、どうした)。ギロチンによって処刑されたルイ十六世の誕生日と同じ日である(意味不明)。「いたずらに馬齢を重ねる」という表現があるが、これは馬に対して大変失礼な言い方である。いたずらに年齢を重ねがちなのはむしろ人間の方であろう。一人勝手に年齢を重ねるだけならまだしも、家族や人様に迷惑をかけながら年齢だけは重なっていくというのはなんとも情けない話であるばかりでなく、罪深い話でさえある。
 今、私は、自分の人生を卑下もしないし誇りもしない。一回限りの人生に対して、どちらも無益無意味な態度だと思われる。自分に残された日々がどれだけあるのか知らない。ただ、これからの一日一日が罪の償いに値するものでありたいとは願う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿