内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「将来」は「不安」の別名でしかなくなってしまった現代の若者たちへ

2023-09-28 22:14:50 | 雑感

 今日の午後、学科長の要請に応じて、学部二・三年生の教育担当責任者として、学部最高学年である三年生を代表する六名と約二時間にわたって面談した。彼らのクラスが今感じている不安とストレスについて聴いた。
 彼らの話を聴いていると、将来に対する彼らの漠たる不安が現在の学業への集中を妨げていることがよくわかった。まだ新学年が始まったばかりであるこの時期にそんな状態にある彼らに対して、「甘ったれるんじゃない!」と一喝したところで、どうなるものでもない。
 まずは、聴く。彼らが今言いたいことはすべて吐き出したと思えるまで話を聴く。その上で、彼らの認識が必ずしも現実をよく捉えているわけではないことを、具体例を挙げながら学科長が説明していく。私は、ただ学科長の脇にいて、うなずいたり、一言二言、口を挟んだりするだけだ。
 学生たちの精神的幼さを感じないわけにはいかなかった。が、他方、どうしてここまで若者たちは打たれ弱くなってしまったのだろうかと、痛々しい気持ちになってしまった。それは彼らの責任ではないから。
 これからの人類の未来にあまり希望が持てないという気分が現在いたるところに蔓延しているとすれば、そのような状況のなかで、それでも未来は希望なのだと、その未来を生きていかなくてはならない若者たちに、白々しくは言えない。
 学生諸君、ほんとうに、生きづらい時代に生まれ合わせ、生きていくことになってしまいましたね。君たちの人生はこれから長い。こっちはそろそろ店じまい。わかり合うのは難しいね。君たちに同情なんかしませんよ。それは君たちに対する侮辱でしかありませんから。
 きっと悪いことばかりじゃないよ、だから、希望をもって生きていってください、と、無責任に体裁のいい御託を並べて、「はい、では、お後がよろしいようで、このへんで失礼いたします」と、しずしずと立ち去ることくらいしか、私にはできそうにありません。
 それでも、あと二、三年は、君たちのそばにいることになります。いや、さっさといなくなったほうがいいのかな。それはともかく、君たちのために私でもできそうなことは試み続けるつもりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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