内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

南仏の真夏の太陽、あるいは永遠の今の自己限定

2016-08-09 14:58:47 | 随想

 今日の午前中も昨日同様区立中学校のプールで泳ぐ。十時の開門時には数人いた入場客も、この酷暑である、十一時過ぎには一人また一人と立ち去り、最後は私一人。昨日と違って今日はコースロープで一コース完泳用に確保されていた。クロールと背泳ぎと交互に泳ぎ続ける。
 プールを出て、校庭を見やると、誰もいない。普段は部活の生徒たちの掛け声が響いているのだが、今日は外での練習は禁止されたのかも知れない。照りつける太陽の下、静まりかえっている校内を歩きながら、ふと十八年前の夏のことが思い出された。
 十八年前の夏、フランスで二度目の夏のヴァカンスを南仏で過ごした。二週間ほどだったろうか。その頃はまだ車を持っておらず、ストラスブールから電車で南下。リヨンで一泊、そこからアルルまでまた電車。ヴァカンス出発前に予約しておいたレンタカーをアルル駅のすぐ脇のエージェントで借りて、アヴィニョンとアルルの間にある人口数百人の小さな村に向かう。名前は忘れてしまった。
 その村の中の一軒家の一階を借りきった。二階は家主が住んでいた。ご主人はオランダ人元外交官、奥さんは日本人。定年後は南仏で暮らすのが夢だったとのこと。滞在中、お茶や夕食に招待してくれたこともある。
 広い庭は自由に使ってよかった。当時四歳半の娘が朝からその庭の草むらに膝を抱えて座り、頭上の樹々の葉が風にそよぐのを飽かずに眺めていたのを思い出す。そんな時間の過ごし方は生まれて初めてのことだった。
 暑い夏だった。空気は乾き切り、日中の外気温は四〇度に達することもあった。それでも、日陰に入れば涼しい。毎日出かけはしたが、車で二、三時間で往復できる範囲に止め、訪れた場所をゆっくりと歩いた。帰宅後、夕食時に飲むきりりと冷えたロゼの喉ごしはまた格別であった。
 日没は九時過ぎであったから、午後が長い。雲一つないどこまでも碧い空から照りつける太陽はあたかも中空にとどまったままであるかのようになかなか沈まない。まるで時間が止まってしまったかのような感覚に襲われた。
 南仏で過ごしたこの最初の夏は、私の時間意識に決定的とも言えそうな変化をもたらした。私たちによって生きられている時間は、その内にその時間を切断する無数の瞬間を包蔵している。古代ギリシアからの歴史が幾重にも重なり合っている南仏の地を照らす真夏の太陽は、人間の歴史的時間意識を垂直に断ち切る瞬間的切断面を、その下に広がる風光を通じて、垣間見させてくれた。その風光は、私にとって、永遠の今の自己限定の具体的形象にほかならない。















































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