内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

連日のオリンピック報道の陰で

2016-08-10 14:07:38 | 雑感

 毎日オリンピック中継を見ているが、それと並行してネット上で日仏のオリンピック関連のニュースを比較しながら読んでいる。
 当然のことながら、どちらも自国の選手の活躍を中心とした編集になっている。メダルが期待される種目が両国でかなり違うから、同日の記事なのにまったく内容が異なっていることもある。別の国を比較の対象にとっても、同じような傾向が見られることだろう。その意味では、別に驚くべきことではない。
 今回、フランスは全般的に低調であり、期待はずれの結果に終わっている種目が多い。フランスメディアの報道の仕方がそれに応じて辛口になり、時に皮肉な調子になるのも致し方ないところである。
 あれこれの記事を読みながら気づいたことは、期待通りの結果を出せなかった選手へのインタビューの内容がかなり刺々しく、何か憤懣やるかたないといった調子もときに見られることである。それは競技の結果の反映として簡単に説明されうるものなのだろうか。
 特に私が気になったのは、メダルを取れなかった水泳選手が、薬物使用で過去に出場停止処分を受けた中国選手が今回メダルを獲得したことに対して極めて攻撃的な発言をしていたケースである。選手同士だからわかる内部事情もあることだろうから、その気持ちがわからなくもないが、場所と立場をわきまえた発言とは言いがたい。そんな言葉の端々に今のフランス社会の閉塞と不安の反映を見てしまうのは、穿ちすぎというものだろうか。
 フランスの現在の国内事情のことを思えば、今オリンピックに浮かれている場合ではないことは明らかだ。経済は停滞したまま、失業率も改善されず、為政者たちには国家的なヴィジョンが何もない。治安に対する懸念は増大する一方。七月のニースの惨劇以後、テロを恐れて中止された夏のフェスティヴァルは一つや二つではない。他者への恐怖と憎悪は日常生活に深く浸透しつつあるのだ。今さら宗教間の対話などという寝ぼけたお題目を唱えたところで、それ自体は何の問題の解決ももたらさない。
 日本は大丈夫であろうか。オリンピックでの日本選手たちの活躍は嬉しい。しかし、その祝祭的報道の陰で深刻化しつつある事態への注意を怠ってはならないだろう。












































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