内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「相互無理解ニ基ク人類闘争ノ如何ニ悲惨ナルカヲ痛嘆セザルヲ得ズ」― 恒久平和の礎はどこにどのようにして築かれうるのか

2018-08-18 23:38:06 | 読游摘録

 五日後の二十三日夜に羽田を発ち、翌二十四日早朝シャルル・ド・ゴール空港着、空港からストラスブール直行のTGVに乗り、昼前にはストラスブールに着く。その翌日からすぐに本格的に仕事を再開しなければならない。それどころか、帰仏前に新学年開始に備えて準備しておかなくてはならない資料等あり、もうすでに夏休み気分はほとんど雲散霧消しつつある。それでもなお、九月に入れば自由な読書の時間もほとんど取れなくなるからと、今回の一時帰国中に購入した本をここ数日あれこれ読んでいる。
 講義の準備のために購入した本が大半だが、十五日の記事から取り上げている梯久美子の著作はその枠には入らない。沖縄滞在中お世話になったM先生宅のリビングのテーブルの上に置かれていた『狂うひと』を何気なく手にとって最初の何頁かを読んでいたら、つい引き込まれてしまった。内容に対する興味ももちろんあったが、一度読者の心を掴んだら離さないような筆力ある文章にたちまち惹きつけられてしまったと言ったほうがいい。
 それで、『狂うひと』(2016年)だけでなく、その他に『散るぞ悲しき』(2005年)『百年の手紙』(2013年)『硫黄島 栗林中将の最後』(2015年)『原民喜』(2018年)も併せて購入した。このノンフィクション作家の本はすべて読みたいと思っている。
 ここから先は昨日の記事の続き。
 『硫黄島 栗林中将の最後』所収の「文人将軍 市丸利之助小伝」に私は深い感銘を受けた。この小伝が伝える市丸の高潔な人格についてはもちろんのことだが、章末に付された「ルーズベルトニ与フル書」は、著者が言うように「歴史に残る文章」だと思う。著者によるこの書簡の紹介から何箇所かほぼそのまま抜粋する。

 この文章は、当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに宛てた書簡である。市丸は海軍司令部の地下壕で、海軍用箋八枚にわたってこの文書を書き、それをハワイ出身の日系二世の兵曹に訳させ、陸海軍の最後の総攻撃の際、部下の通信参謀に日本文と英訳文の二通を託した。通信参謀はそれらを腹に巻いて出撃した。通信参謀は戦死したが、遺体の腹巻きの中から、米軍が書簡を発見し回収した。
 文章は簡潔にして品格があり、日本の敗北を前提としているが、いわゆる引かれ者の小唄ではない。負けてゆく日本の立場を意を尽くして語り、大戦後の世界のあり方を真剣に考察したものである。
 戦死者の遺体と硫黄の臭気がたちこめる、地下二十メートルの暗い地下壕の中で、一文字一文字記された書簡は、ほんとうにアメリカに届いたのである。
 船も飛行機も持たない海軍指揮官は、部下とともに敵陣に突撃し、その遺体はいまも見つかっていない。

 「日本海軍市丸海軍少将書ヲ「フランクリン ルーズベルト」君ニ致ス。我今我ガ戦匕ヲ終ルニ当リ一言貴下ニ告グル所アラントス」と始まるこの書簡全文をここに引くわけにはいかない。一箇所だけ、摘録しておきたい。

飜ツテ欧州ノ事情ヲ観察スルモ又相互無理解ニ基ク人類闘争ノ如何ニ悲惨ナルカヲ痛嘆セザルヲ得ズ。今「ヒットラー」総統ノ行動ノ是非ヲ云為スルヲ慎ムモ彼ノ第二次欧州大戦開戦ノ原因ガ第一次大戦終結ニ際シソノ開戦ノ責任ノ一切ヲ敗戦国独逸ニ帰シソノ正当ナル存在ヲ極度ニ圧迫セントシタル卿等先輩ノ処置ニ対スル反撥ニ外ナラザリシヲ観過セザルヲ要ス。

 一国の軍国主義を断罪し、戦争反対・恒久平和をスローガンとして唱えることは、いわば「絶対正義」であり、だれもそれに対してあからさまには反対できないであろう。しかし、もしそれが他者の声に耳を貸さない頑なさであれば、そのような硬直的教条性こそが人類闘争の根源になってしまうことを思い知るべきであろう。異質な他者を、好悪を超え利害を超えて理解するには時間がかかる。細心の注意と相当な敬意を払いつつ当事者たちの声に耳を傾けることにも時間がかかる。まさにそうであるがゆえに、そのような作業に時間を惜しまないことにこそ、平和の礎の少なくとも礎石の一つがあるのだと私は思う。












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