内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

小さな痛みが教えてくれること

2021-10-23 23:59:59 | 雑感

 大病はできればしたくないし、いつも痛みに苦しめられるのも御免被りたいが、今回の右足裏の鶏眼のように小さな痛みは、それ自体はやはり歓迎しかねるが、あまり深刻にならずに、なぜそうなったのか振り返って考える機会を与えてくれ、体の調子により敏感になり、注意深くしてくれる。
 素足で板の間を歩くだけで痛みが走った水曜日は、これじゃとても走れたものではないと、日課のジョギングは諦めたが、森の中を歩きながら、足裏の重心移動に注意を集中し、歩き方によって痛みがどう変化するか観察した。その結果、つま先に力が入っていると足首が固くなり、痛みが強く、逆に踵からしっかり着地し、足首を柔らかく保ち、滑らに重心をつま先に移動させると最も痛みが小さくなることがわかった。
 翌日木曜日もやはり走らず、大学の行き帰りの往復九キロを歩きながら、歩き方による痛みの増減を確認した。それに、その日の記事に書いたように、絆創膏で鶏眼の芯の周りに「土手」を作って、芯が靴のインソールに触れないようにもしたことで、ほぼ痛みなしで速歩できることがわかった。
 昨日金曜日は、絆創膏の代わりに、急遽購入したスポーツ用のテーピングでやはり鶏眼の芯のすぐ上、つまり趾よりに三重にテーピングして「土手」を作り、早朝に走った。歩くときよりも足への負荷は当然大きくなるので、まったく芯がインソールに触れないようにすることはできず、痛みとまではいかないが、芯とインソールが触れるのがわかり、その感触はけっして気持ちのよいものではなかった。
 違和感の増減に注意しながら走り方を微妙に変えてみると、歩くとき以上に足裏の重心移動の仕方が大事なことがわかった。ランニングシューズの踵の反発力を最大限に使い、足首をできるだけ柔軟に保ち、膝から下を振り子のように前方に振り出すと、ほぼ違和感なく走れた。
 以上から導き出せる結論は、走っているときに踵からつま先への体重移動が充分に滑らかではなく、つま先側の足裏の中央部に過度の負荷がかかっていたためにそこに鶏眼ができてしまったのだろうということである。鶏眼はその過度の負荷のいわば注意信号だったわけである。
 正しい走り方を最初から身につけていれば避けられたことではある。痛みそれ自体は喜ばしいことだとはやはり思えない。しかし、痛みの「声」に耳を傾けることで、自分の体の機能と状態をよりよく知ることができ、それに応じて体の使い方をコントロールできるように体ができていることに、今回の痛みを通じて改めて気づかされ、その精妙さに驚くとともに、それを恵まれていることに自ずと感謝の念が湧いてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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