内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

まだ見ぬかたの花を尋ねん ― 岩波文庫版『西行全歌集』刊行によせて」

2013-12-27 23:38:03 | 詩歌逍遥

 12月の岩波文庫新刊の一冊として、日本中世文学研究第一人者久保田淳と吉野朋美校注の『西行全歌集』が刊行された。発売と同時に購入。これまでにも西行歌集は数多出版されており、『山家集』をはじめとして、私自身数種の刊本をパリの自宅に置いてあるが、現在知られている西行の和歌すべて約2300首を集成した文庫版はこれが初めて。西行の歌を折に触れ時に応じ読みたい西行愛好家にとってはありがたいかぎり。表表紙の紹介文にあるように、「広く日本の詩歌に関心のある読者にとって読みやすいのみならず、専門家による研究にも資するべく編纂された決定版」と言うことができる。
 2010年春、桜を愛でるには遅すぎた5月初めに吉野山をある人と訪れた。花の盛りをとうに過ぎてはいたが(車を置いた駐車場の管理人が「今満開は東北地方に移動しております」とにこやかに私たちの時期遅れの訪問を歓迎しながら切符を渡してくれたのを覚えている)、それだけに観光客も疎らな吉野山を午後から夕刻にかけての柔らかな陽射しの中、ゆっくりと思いのままに散策できた。西行ゆかりの地を訪ね歩くだけの時間はもちろんなく、金峰山寺とその付近の寺と展望台を訪れただけだったが、それでも西行の歌碑がいたるところで目に止まった。その中でもある旅館の庭の隅に慎ましく置かれた歌碑に刻まれた歌がことのほか心に残った。

吉野山去年の枝折の道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねん (聞書集240)

 よく知られた歌の一つだが、吉野山でそれを鑑賞するのはまた格別であった。また見に来ようと昨年枝を折って印をつけた桜を訪れようとやって来たが、来ればそこにはない花里を尋ね知りたいという気持ちが沸き起こり、道を転ずる。知った道からあえて逸れるのは、単に空間的にまだ訪れたことのない場所に咲く別の桜を探し求めようという好奇心からだけではないであろう。この歌を詠ませているのは、幾度訪れても〈そこではない別の場所〉への憧憬を呼び起こさずにはおかない吉野山の魅惑に憧れ続ける、逍遥する詩魂そのものであろう。












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