内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

深夜ホテルで雨音を聞きながら、バカロレア日本語筆記試験の答案を採点する

2016-06-25 02:57:46 | 雑感

 今日明日の名古屋でのワークショップ参加のために、ちょうど時期がそれと重なってしまったバカロレアの筆記試験の採点は一度断ったのだが、他の採点者を探すのがきわめて困難だからとストラスブールのアカデミーに泣き落とされて、しぶしぶ引き受けたことは、以前にも書いた。
 引き受けるときの条件として、アカデミーの担当者から、答案採点開始日6月24日に答案をスキャンしてPDF版で送るという提案があった(まあ、そこまで言われればねぇ、引き受けますよ)。でも、本当に送ってくるかなあと少し不安だったのだが、来ました来ました。送信時刻を見ると、向こうの時間で朝8時前。さすがアルザス人である。非フランス的かつ親ドイツ的な几帳面さには定評がある。
 ちなみに、この点、フランスに一般に観察されるラテン系的いい加減さを基準にしてみても、マルセイユは異次元のいい加減さだと聞き及んでいる。南仏は大好きだが、マルセイユには、だから、住みたくない。フランスは多民族国家だと、スポーツなどで有色人種が大活躍すると白人たちは誇らしげに自慢し(サッカーで1998年のワールドカップで優勝したときには、よく聞きましたよ。それも今では遠い昔ね、ジダンさん)、経済や治安が悪くなり、テロリストたちの中には移民系の自国籍者が少なくない現在は、移民が多すぎるといたるところで半ば公然とつぶやかれる。それらのつぶやきは、表現の自由の根幹にある、しかし現在では忘却された高貴なる精神とは、何の関係もないことである。このフランスを一色で描くことは確かに難しい。地方と都市部の違いも大きい。歴然たる階級社会である。パリはフランスではないという言い方さえある。これらすべての要素を絵の具のように混ぜ合わせてフランス人のポートレートを描くと、虚しく風に翻る自由・平等・博愛のトリコロールカラーの国旗の下、シニカルなユーモアを交えた会話をこよなく愛するお洒落に着崩したラテン民族という矛盾的同一性が生まれるのである。故に精神分析が幸ふ国なのである。
 閑話休題。BAC(バック。バカロレアBaccalauréat の略)の話に戻ろう。六人の受験者が予定されていたが、こちらにとって幸いなことには、うち二名は欠席。四枚の答案を採点するだけである。第二外国語として日本語を選択した理系の生徒たちの答案。試験問題は、指示以外はすべて日本語。解答もすべて日本語。二十点満点で、配点は、テキスト読解と日本語作文半々。テキスト読解は、テキストについての七つから十の日本語の質問に日本語で答える形式。質問の数は、受験生たちの選択しているコースに拠る。作文は、読解テキストのテーマに関連して与えられた問いに答える形式。二百字、三百字、あるいは四百字。これも選択コースに拠る。
 読解問題の主題は「いじめの構造」。まず、いじめらている子、いじめる子たち、見て見ぬふりをする子、なんとかしなければと悩んでいる子などのイラストとそれぞれの子たちの口に含ませた吹き出し、その後に「相手の気持を考えて」と題した小学校五年生の六百字ほどの作文がメインテキスト。道徳の教科書に載ってそうな内容。その後に質問が並ぶ。もっぱらイラストとテキストが理解できているかを試す読解力問題で、内容の価値判断には一切立ち入らない設問。
 作文の問いは、四百字の場合は一つだけ、三百字あるいは二百字の場合は、二つの問いから受験者がその場で一つ選ぶ。実際の設問はもっと長い文だが、「いじめを見た経験があるか」「友だちの大切さ」「いじめの原因は何か。なくすにはどうすればよいか」といった内容。
 読解も作文も比較的難易度は低く、答案はいずれも合格点に達している。飛び抜けて優秀な答案が一つ。答案には受験者番号が印刷されているだけで、受験者の名前も性別も分からないようになっている。名前や性別によって採点者の判断が揺れないようにするためである。しかし、その優秀な答案は作文の内容から女の子だとわかる。その読みやすい漢字の書きぶりから、おそらく両親とも日本人か、少なくともいずれかの親が日本人で、日本語教育をしっかり受けさせていることが推測される。
 受験者諸君は、自分たちの答案を採点官が日本で深夜に宿泊先のホテルで窓を叩く雨音を聞きながら採点しているなどとは、よもや思いも及ばないことであろう。




















































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