『ニコマコス倫理学』第八巻の今読んでいる箇所は、アリストテレス自身の考えを述べているわけではなく、当時広く受け入れられていたフィリアについての考え方の紹介です。当時のギリシア人たちがフィリアをどのように考えていたかがわかって興味深いですね。その紹介の後にそれを踏まえた上でアリストテレス自身のフィリア論が展開されていきます。
また、愛は子どもに対する親のなかにも、親に対する子どものなかにも自然に生まれてくるもののように思える。愛は人間のなかにあるばかりでなく、鳥のなかにも大部分の動物のなかにもある。そして、同じ種族の者のあいだではそうである。このことゆえにわれわれは、あらゆる人に愛が及ぶような人を賞賛する。また人は、どこかに度に出かけても、いかなる人間も人間同士「身内」であり、「親しい仲」であることを目にすることができるだろう。
この一節を読んでわかることは、フィリアは、一方的なものではなく相互的なものだということ、人間についてのみ認められるものではなく、広く動物たちの間にも認められるものであることです。動物界のみならず、宇宙の成立を、互いに似たもの同士が引き付け合うこと、あるいは、相対立するもの同士が一つの全体を構成することから説明しようとする考え方はアリストテレス以前からありました。アリストテレス自身はこのような汎フィリア主義には与せず、フィリアを人が幸福であるためになくてはならぬ徳と考えています。
アリストテレス自身の考えは後に見るとして、上掲の一節を読むと、現代はフィリア喪失の時代ではないのかと言いたくなりませんか。それは極端にすぎるとしても、コロナ禍に襲われた直近二年間のことは措くとして、現代ほど人の往来が世界規模で自由に迅速にできる時代はかつてなかったのに、現代ほど通信技術が発達し世界中の人々と「つながる」ことが容易な時代はかつてなかったのに、フィリアがそれにともなって増大しているとは言えないでしょう。