悲しいことだが、休みには必ず終わりがある。今回の四連休の間、明日から七月末までの二ヶ月間に大学の職務としてしなければならないことについて考えるのを休止した。何をすべきかすでにはっきりしていることについては、明日からこれまでように粛々と業務をこなせばいいだけであるから予め考える必要がないし、条件がはっきりしなければ具体的にその準備を始めようがない九月からの新学年のことについては一人で考えてもしょうがない。というわけで、若干の避けがたい仕事は別として、この四日間、久しぶりにわりとのんびりとした気分で過ごせた。といっても、外面的には、ほとんど家の中で過ごしていることに連休以前と連休中とで違いはなかったから、これはもっぱら気分の問題である。
今置かれている状況はもちろん誰にとっても未曾有のことであり、かつこれからの状況の変化をある程度の確実性をもって予想するにはいまだに不確定要素があまりにも多く、九月からのことについていくらかでも具体的に計画しようとしても、それは今後の状況の推移に左右され、それに対して政府がどういう決定を下すかにかかっており、そしてそれに応じて大学当局が明確な方針を示さなければ、何も決められない。というところで今はすべて思考を中断しなければならない。あたかも中空に吊るされて身動きが取れないようなこのような状態は心身に相当の悪影響を及ぼしかねない。
しかし、このように多くの事柄に関して判断中止を余儀なくされ、これまでの生活の条件の多くに関してそれらをもはや自明とは見なせなくなり、その結果として今まさに顕現しつつある新しい現実に直面させられ、その中でこれからどう生きるかを考えることを要請されている今の状況は、きわめて「現象学的」だとも言える。
この未だ嘗て誰も経験したことのない状況を、私は、「当事者」の一人として、注意深く、できるだけ精確に、そのときどきの精神の揺らぎもそのままに、記述していきたい。そのことの中に活路は自ずと見いだされるはずである。