内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

死の真相に至るための謎解きのごとき取材 ― 梯久美子著『硫黄島 栗橋中将の最期』

2018-08-16 23:59:59 | 読游摘録

 梯久美子著『硫黄島 栗橋中将の最期』(文春文庫、2015年、初版2010年文春新書)の「ドキュメント1」は、『散りて悲しき』(2005年)刊行後に現われた栗橋忠道中将の最期に関する異説(ノイローゼ、投降、部下による斬殺等)を、手紙・証言・論文・雑誌記事・新聞記事などの資料の徹底した精査と多数の関係者への労を惜しまぬ聞き取り調査に基づいて反駁した上で、栗橋中将の人生の最後の数時間を再現しようと試みている。そして、その最後の出陣を叙述した後、こう結んでいる。

 人間の生命が何よりも大切であるとする現代の私たちの感覚からすれば、これ以上兵士を犠牲にしないために投降したほうがよいということになる。合理主義者であり兵を大切にしたヒューマニストだった栗林なら、それもありえたのではないかと考えたくなる。
 しかし当時、栗林だけではなく戦場にいた将兵の多くが、置かれた状況がいかに絶望的であっても、そのなかで最善を尽くそうとした。現代の私たちの感覚で戦場を語ろうとするとき、多くのものがこぼれ落ちてしまうことを忘れてはならない。軍人として個人としての価値観の相克のなか、硫黄島で栗林はやはり軍人として生き、そして死んだのだと私は思う。

 戦争の現実について、戦線あるいは銃後の死者たちの声に耳を傾け、多数の異なった観点から重層的・多角的に過不足なく記述することは困難を極める。しかし、そのような努力を方法的自覚をもって繰り返しどこまでも続ける作業こそが、美化された虚像崇拝、感情的な事実歪曲、非理性的な国粋主義、教条的な絶対主義(たとえそれが平和主義であったとしても)等に陥ることなく、恒久平和への希求の礎を築くことになるのだと私は思う。