内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

精神の朝ご飯

2014-09-15 21:32:28 | 雑感

 毎朝、簡単だがバランスの取れた食事を心掛けている。毎日のようにプールに通ってもいる。どちらも健康維持のためである。幼少の頃はよく熱を出したりして、母親を心配させ、病院にも度々お世話になっていたようであるが、生まれてのこの方、大病をしたことは幸い一度もない。成人してからは、そもそも病気で病院にかかることもほとんどなく、特にフランスで暮らすようになってからは、健康診断以外で医者にかかったのは、皮膚のかぶれのための一回だけである。昨年夏、帰国中に、生まれて初めて人間ドックに入ったが、結果は良好で、どこも悪いところはなかった。昨年末に帰国した時には、知り合いの歯医者で検診とクリーニングをしてもらった。そのときにも異常なし。ありがたいことである。
 これもほぼ毎朝のことなのだが、小学校の十分間読書運動ではないけれど、分野を異にする数冊の本を少しずつ並行させて読んでいる。今は、次の四冊を読んでいる。一冊目は、先日も何度か話題にした « L’émergence » という科学哲学の分野の論文。この論文は、偶然性と意志の自由を科学的決定論とどう調和させるかという問題に答えようとしてきた十九世紀から今日までの哲学者や科学者たちの様々な理論的試みの変遷を、原典からの多数の引用を適宜配しながら手際よく網羅的に辿っている。二冊目は、ラヴェッソンが二十一歳の時に懸賞論文に応募するために書き始め、翌年には最優秀賞を受賞した Essai sur la « Métaphysique » d’Aristote という、実にエレガントなフランス語で書かれたアリストテレス『形而上学』研究の大著(Cerf, 2007)。三冊目は、二人のフランスを代表するヘーゲル学者によるマイスター・エックハルトのドイツ語説教集の仏訳一巻本(Albin Michel, 2009)。この説教集の今日の標準ドイツ語とはかなり異なる中世の中高ドイツ語を、その独特の表現の厳つさと躍動性をできるだけ損なわずにフランス語に映し出そうと試みている訳。そして、四冊目は、日本人の戦争経験について、一九三七年から一九五二年に渡って、その多層性・多重性・多様性・両義性・曖昧性等を、文学・芸術・建築・映画・政治・思想・宗教、教育等多数の分野に跨がる第一次資料の博捜と現地調査に基づいて、細部のニュアンスを損なうことなしに見事に浮かび上がらせることに成功している Michael Lucken の Les Japonais et la guerre 1937-1952 (Fayard, 2013) 。この本は、アカデミー・フランセーズの今年の Prix Thiers を受賞しているが、この賞がヨーロッパ以外を対象とした研究に授与されたのはこれが初めてのことである。著者を知っているだけに、賛嘆の気持ちもそれだけ大きく、もう少しで読み終わるのが惜しくさえある。
 これらの読書はいわば精神の朝ご飯のようなもので、こちらもできるだけ偏らずにいろいろ知的栄養を吸収するように心掛けている。
 これら二つの朝食を取ってから、その日の仕事を始める。つまり、主に授業の準備のために必要な日本史および日本文学史関連の参考文献と古典そのものを読み始める。あるいは、二つの朝食の間にプールに泳ぎに行き、それから仕事に取り掛かる。