内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

七百年の時を超えてのエックハルトとの機縁

2014-09-14 19:18:18 | 雑感

 ドイツ神秘主義の最高峰マイスター・エックハルトがパリ大学での二年間の神学教授の職を終えたあとに、その所在が確認されるのは、今からちょうど七百年前の一三一四年ストラスブールにおいてである。この地で、ドミニコ会総長代理として、ライン河流域地方の諸修道院、ことに女子修道院と、民衆信徒の霊的生活を指導する総監督に専念するためであった。
 エックハルトのストラスブール時代は約十年近くに及ぶ。アルザス地方は元来異端的宗教運動の長い歴史を持つ地方であり、ストラスブールはその一大拠点であった。それゆえ、エックハルトのここでの大きな使命の一つは、それら異端の徒の改宗であり、そのためにドミニコ会本来の使命である説教活動を積極的に展開していくことになる。
 聴衆はそれら異端的傾向に傾きがちな現地の信徒たちであったから、説教での使用言語は、当時のヨーロッパの神学の共通言語であるラテン語ではなく、現地語のドイツ語であった。このストラスブールに端を発するドイツ語説教がエックハルト独自の神秘主義的神学を開花させていく。上田閑照の『マイスター・エックハルト』(『上田閑照集』第七巻)によれば、「ドイツ語説教を通しての僧俗に対する影響は、ラインの流れの如く、シュトラスブルクからケルンに向かって広大にとどめ難いものになっていく」(一八四頁)。
 このストラスブール時代に、エックハルトと併せてドイツ神秘主義の三つの巨星とされる二人の直弟子、ヨハネス・タウラーとハインリヒ・ゾイゼがエックハルトに親しく師事する機縁があったとされている。
 西田哲学への関心をきっかけとして私がエックハルトを読むようになってからもう二十年以上になる。カトリックの教義を突破しかねない徹底した神学的思考には読むたびに心の深いところで動かされるものがある。そのエックハルトゆかりの地に今再びこうして住んでいる。ストラスブールのドミニコ会に属する日本人修道士とは、その修士論文の審査員を引き受けたことがきっかけで、数年前から知り合いになった。私が自分の博士論文の公開審査を受けたストラスブール大学神学部の教室は、「タウラー教室」と名づけられていた。これらすべて機縁というものなのかもしれない。
 これからもずっと、エックハルトの説教集・論述集は私の座右の書であり続けるだろう。