ストラスブールへの転任が事実上決まって住居を探し始めたとき、居住地区としては、かつて住んでいた街区、大学附属植物園近くの閑静な住宅街、ライン川の辺りの新開発地区、これら三つに絞った。それらに共通するのは、川の辺りにあるということである。
若い頃、日本国内をあちこち旅行していたとき、旭川、金沢、高山など、住んでみたいなと思った街には必ず川が流れていた。以来、住むんだったら、川のある街がいいなと思っていた。どうしてなのだろうと考えてみた。おそらく、一つには絶えず流れるものへの憧憬、一つには川の上の空はいつも開けていることが与える開放感に魅せられていたのだろう。
パリに住んでいたとき、通勤に使っていたメトロ六番線はエッフェル塔が間近に見える距離のところでセーヌ川を横断する。そこからの景観が好きだった。本を読んでいても、セーヌ川に差しかかるとふと目を上げる。私だけではない。その景観はメトロからしか味わえない。革命記念日恒例の花火がエッフェル塔下やシャイヨー宮から打ち上げられるとき、セーヌ川上で電車をほんの僅かだが停止させるという粋な計らいを運転手がしてくれたこともあった。その時は車内で歓声が上がった。
ストラスブール市内を幾つもの支流に分かれながら流れているリル川は街の景観の大切な構成要素の一つであり、歩いて或は路面電車でリル川上に架けられた様々な橋を渡るとき、そのそれぞれの橋上から開かれるパースペクティヴにはいつも魅惑される。そんな景観のすぐ脇にある植物園の真向かいのアパルトマンは、今回の住居探しの最終候補まで残った。最上階の五階でエレベーターがなく、窓からの眺めが他の建物の裏側であまり綺麗とは言えず、間取りも気に入らず、地下の物置もないということなどが「落選」の理由だった。立地条件と建物の正面の姿とは本当に気に入っていたのだけれど。
雄大なライン川の滔々とした流れはまた格別である。スイスの山脈の水源から発し、独仏国境を北上し、オランダで北海に注ぐこのヨーロッパを代表する大河が見下ろせる地区に住むのも悪くないなと思っていた。いくつか魅力的な物件があったのだが、いずれも入居可能時期がこちらの都合に合わず諦めた。今住んでいる所から当分動くつもりはないけれど、もし引っ越すとなったら、今度はライン川の辺りにしようかなと思ってもいる。
今住んでいる地区は四方すべてリル川の支流に囲まれていて、どっちに向かって外出するにも必ず両岸を樹々に覆われた川を渡る。橋を渡るとき、必ず左右の風景に目が行く。プールに行くときもそう。アーチ型の小さな橋を渡ればもうすぐ向こうがプール。大学に行く時に使う路面電車に乗るには、そのプールを通り過ぎてさらに三分ほど、欧州議会の真ん前の駅まで歩く。支流は段差のあるところ以外はいたって穏やかな流れで、いつも白鳥や鴨たちがのんびり行き来している。プールの近くにはカヌーの学校があり、小中高生たちがよく練習している。彼らのはしゃぐ黄色い声と、インストラクターの張りのある声が川面に響く。買い物に行くときは、自家菜園で暮らしているらしい平屋の家が並ぶ川辺りを歩いていく。
決して便利なところではないが、住まいの周りの景観によって自ずと癒やされる今の住環境は気に入っている。