内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

メンデルスゾーン弦楽四重奏曲第一番・第二番 ― 清澄な旋律が流麗に奏でられる「育ちの良い」音楽

2020-05-06 12:27:51 | 私の好きな曲

 五月三日日曜日まで締切りが迫っている仕事の処理にずっと追われていました。それらが一応片付いたので、私自身ちょっと息抜きがしたくて、月曜から「私の好きな曲」についてお話ししています。ちょっと「しりとり」みたいなのですが、今日は昨日の記事で話題にしたミネッティ弦楽四重奏団の別の演奏を取り上げます。
 この四重奏団のメンバー全員が大変な実力の持ち主であることは、私などがおこがましく喋々するまでもないことです。HMVのこちらの紹介記事を御覧ください。別のサイトの情報ですが、第二ヴァイオリンのアンナ・クノップさんのお母様は日本人だそうです。
 なぜこの人たちの演奏が私はこんなにも好きなのだろうかと自問してみました。素人の私に何か気の利いたことが言えるわけでもないのですが、この人たちの演奏を聴いていると、まず何よりも「育ちの良さ」を感じるのです。奇を衒うところがいっさいなく、実に豊かな音楽性が自ずと流露する演奏とでも言えばいいでしょうか。だからハイドンとの相性がとてもいいのでしょう。
 育ちの良さと言えば、作曲家の中ではメンデルスゾーンの名がすぐに浮かんできます。その弦楽四重奏曲第一番・第二番をミネッティ弦楽四重奏団は2012年にリリースしています。こちらも相性がピッタリというのでしょうか、その清新流麗な輝くばかりの演奏を聴いていると幸福な気持ちになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ミネッティ弦楽四重奏団のハイドン弦楽四重奏曲Op.64-4、Op.74-3『騎士』、Op.76-5

2020-05-05 23:59:59 | 私の好きな曲

 クラシックの場合、「私の好きな曲」というカテゴリーとは別に「私の好きな演奏」「私の好きな演奏家(たち)」を立てた方がいいと思うこともしばしばある。曲そのものは名曲中の名曲でも、そのすべての演奏が素晴らしいわけではないし、演奏家だっていつも「アタリ」とは限らない。録音の良し悪しという問題もある。
 ネット上には、クラシックに話を限っても、それこそ数え切れないほどの音楽関係のブログがあり、私もかつてはそれらを足繁く訪問し、そこで推薦されている(あるいは激賞されている)CDを買い求めたものである。
 昨日の記事で話題にしたハイドンの弦楽四重奏曲の演奏に関しても、高度な知識を備えられた識者・好事家の方々のご意見を参考にしていろいろな演奏を聴き比べてみた。それはそれでとても楽しい時間である。まったく知らなかった四重奏団に出逢えるのも嬉しい。
 コダーイ弦楽四重奏団の演奏はいわば「楷書」の演奏で全曲安心して聴ける。玄人の方々からはいささか物足りない演奏と評価されることもあるが、私にとってはいつ聴いてもとても感じのよい演奏である。
 若手の弦楽四重奏団にも素晴らしい演奏家たちが次から次に出てきている。とてもフォローできない。その中で私が特に好きなのは、ミネッティ弦楽四重奏団。設立は2003年。ウィーン国立音楽演劇大学でアルバン・ベルク四重奏団のメンバーなどに師事。四人とも1982年生まれで、すでに一流の四重奏団としての地位を確立しているから、若手という言葉はもうふさわしくないかも知れない。
 彼らが2009年に発売したハイドン弦楽四重奏曲Op.64-4、Op.74-3『騎士』、Op.76-5 は本当に素晴らしい。最初に聴いたのは数年前だが、以来何度聴いても惚れ惚れとしてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ハイドン弦楽四重奏曲Op.72-2『雲がゆくまで待とう』

2020-05-04 23:59:59 | 私の好きな曲

 拙ブログにはさまざまなカテゴリーがあるが、その中の一つが「私の好きな曲」である。最近はこのカテゴリーに当てはまるような記事をまったく書いていない。今年に入ってからはまだ一件もない。その間音楽を聴いていなかったわけではない。自宅待機令以前から普段自宅で仕事をすることが多く、そういうときはアップルミュージックやアマゾン・ミュージックでクラシックのテーマ別に編集された何時間も続くコンピレーションをストリーミングで流しっぱなしにしている。それらの曲や演奏の中には、はたと仕事の手を休めて聴き入ってしまうものもときにはあったのだが、記事を書きたくなるような曲や演奏に出逢うことはなかった。
 三月後半からの自宅待機令下くり返し聴いているのはハイドンの弦楽四重奏曲全集である。ハイドン先生にはまことに申し訳ないが、真剣に聴いているわけではない。仕事中バックグラウンド・ミュージックとして流している。であるから、あまり才気に満ちた溌剌とした演奏よりも、頭をすっきりさせてくれ、気持ちを清々しく或いは落ち着かせてくれる演奏がいい。というわけで、コダーイ弦楽四重奏団による全集を控えめの音量で流している。ストリーミングのいいところはCDならば二十五枚組のこの全集を切れ目なくずっと流せることである。合計二十五時間三十分であるから丸一日流していても終わらない。
 CD版の最後の一枚は『十字架上のキリストの最後の7つの言葉』であるが、これを除くと、最後の一曲は『雲がゆくまで待とう』である。この曲が他のハイドンの弦楽四重奏曲より特に好きというわけではないのだが、ハイドン先生ご本人による命名ではないこのタイトルが実にいいなあと思っている。
 不確定な未来を案じてもどうにもならない。雲がゆくまで待とう。今日も書斎の窓から空を見上げながらそう呟いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


手嶌葵「こころをこめて」に心洗われる

2019-12-15 18:50:30 | 私の好きな曲

 アップル・ミュージックとアマゾン・ミュージックに加入している。ひっきりなしに「オススメ」が更新される。いちいちそれに付き合ってはいられない。でも、その中にふと気になる曲があったりするとクリックする(先方の罠にまんまとかかっているわけである)。そんな仕方で最近その楽曲に出逢ったのが手嶌葵である。
 予備知識ゼロで、今年リリースされた『Highlights from Aoi Works II』を聴き始めて、息を飲んだ。仕事の手が止まった。こんなに人を優しく包める歌声を私はかつて聴いたことがない。最初に聴いたのがこのアルバムの第一曲「こころをこめて」である。この曲は、今年五月に公開された水谷豊監督・出演・脚本の『轢き逃げ 最高の最悪な日』のテーマ・ソングである。映画は観ていない。だから、まったく先入見なしに曲を聴くことができ、たちまち手嶌葵の声そのものに魅了されてしまった。
 単に私が知らなかっただけのことだとしても、こういう「発見」は嬉しい。













Perfume を讃えて ― 祝ベスト・アルバム Perfume The Best“P Cubed” 発売

2019-10-09 23:59:59 | 私の好きな曲

 このところ雨が多い。多少の雨なら大学まで自転車で行くが、それが少し躊躇われるほどの降りのこともある。そんなときは路面電車を使う。大学まで自転車の倍以上時間がかかるから、それは嬉しくない。でも、ヘッドホンで音楽を聴きながら行けるのは、ちょっと嬉しい。
 9月18日、Perfume のメジャー・デビュー15周年を記念する三枚組のベスト・アルバム Perfume The Best “P Cubed” が発売された。アップルミュージックでもCD発売と同時に配信が開始された。以来、大学の行き帰りに何度も聴いている。冒頭の新曲 「Challenger」を除いて、2005年のメジャー・デビュー曲「リニアモーターガール」からリリース順に配列されていて、最後はこのベスト・アルバムに初めて収録された新曲「ナナナナイロ」。全52曲(個人的には、「23:30」の落選がちょっと残念)。
 最近の曲もいいのだが、どの曲も鮮度が落ちていないのに驚く。彼女たちがいつも時代の先端を走り、進化・洗練・成熟を続けているのは、本人たちの努力と才能によるのはもちろんのことだが、曲だけを聴いていると、やはり作詞・作曲・編曲をずっと手掛けてきた中田ヤスタカの圧倒的な才能に感嘆しないではいられない。最近の曲には英語がかなり入っている曲も多いが、初期のは日本語のみか日本語が主で、その語感と音の響きとリズムが生み出す独自の音楽世界に私は魅了されている。
 特典付初回限定盤を発売の一月前に予約しておいた。今月初めに日本から送ってもらった。付録のブルーレイには、今年の Coachella Valley Music and Arts Festival のライブ映像や「EテレEうた♪ココロの大冒険」からの二曲、「Perfume のただただラジオが好きだからレイディオ!4」などが収録されていて、それはそれで楽しめる。











高度1万メートルで聴いたジョージ・セル指揮・チェコ・フィル演奏『ドボルザーク交響曲第八番』

2019-08-25 23:59:59 | 私の好きな曲

 昨晩、無事自宅に帰り着いた。帰路は、すべて順調、なんのトラブルもなかった。
 機内では、最後尾窓側の席を選んだ。席のすぐ後ろがトイレで、若干その臭いが気にならなくもないが、座席の後部に小さな荷物は置けるし、後ろの座席を気にする必要もなく、通路側に一席あるだけで、出入りもしやすいというのが選んだ理由。昨夏利用したエール・フランスでも同じ席を選んだ。そのときは、トイレの使用音がかなり気になったが、今回利用したJAL便ではそんなことはなかった。
 機内では、映画を観て過ごすことが多い。しかし、今回は特に観たい映画も見つからなかった。かといって、本を長時間読むのも眼に辛い。何か音楽でも聴こうかと、リストを眺めても、これといった曲目がなかなか見つからない。
 唯一、ジョージ・セル指揮、チェコ・フィル演奏のドボルザーク交響曲第八番が目に止まった。1969年のルッツエルン国際音楽祭での演奏のライブ録音。セルの「ドボ八」といえば、逝去の年1970年に手兵クリーブランド管弦楽団を指揮しての演奏が歴史的名演として有名で、これは私もかねてより CDを所有しているが、その前年のこのライブ録音も本当に素晴らしい演奏だ。ヘッドホンで聞く音が痩せているのは仕方ないが、それでもライブの熱気とチェコ・フィルのキレがあるのに暖かく柔らかい演奏の魅力は感じることができた。
 ここ二年ほど、自宅でも音楽はストリーミングで「聞き流す」ことが多くなってしまい、真剣に聴くということがめっきり少なくなってしまった。昨日は、思いもかけず、久しぶりに交響曲の演奏を集中して鑑賞することができた。今日、早速当該のCDを注文した。付録としてMP3の音源も付いてくるので、Bose SoundTouch で再度聴いてみた。セルならではのきりりと引き締まり統率された演奏でありつつ、各楽章、各パートがそれぞれにとても表情豊かで、ますます気に入ってしまう。
 機上で思わぬ贈り物をもらったような気分である。













元気が出る Perfume

2019-02-10 20:42:16 | 私の好きな曲

 今日の記事は短いです。
 明日の授業の準備、推薦状書き、大学関係の各種申請書類作成、成績証明書の日本語訳(なんで私がやらなきゃいけないの?)などなど、せっかくの日曜日だというのに、休めないし、気が休まらないんです(同情するなら、金はいらない、時間をくれ!)。
 こんなときにストレスをためないための特効薬はあるのでしょうか。朝泳ぎに行くだけでもかなりの効果はあるのですが、これは完全に習慣化しているので、残念ながら効果は限定的なんですね。それどころか、二日もサボったりすると、たちまち罪悪感が生じてしまい、逆効果なんです。休めなくなってしまっているです(ばっかみたい、ですよね)。
 最近自宅でできるお手軽な気分転換方法は、YouTube にそれこそ無数にアップされている Perfume の MV を鑑賞することです。オフィシャルMVはどれもほんとうに入念に仕上げられていて、ほとほと感心しております。それらをいくつか観て、元気をもらって、さて、また仕事に戻るって感じですかね。
 どれが一番とは決めかねるし、決める必要もないわけですが、今は「Sweet Refrain」が気に入っています。『ちはやふる-結び-』の主題歌である「無限未来」も MV の映像がいいですね。
 作詞・作曲の中田ヤスタカは、掛け値なしに、天才だと思います。楽曲分析は私にはまったくできませんが、歌詞もほんとうに面白くて、実は明日の授業でもいくつかの歌詞を「教材」として使います。
 それじゃあ、仕事に戻りま~す。













大伴家持の友情とキャロル・キングの “You’ve Got a Friend”

2018-11-11 17:58:57 | 私の好きな曲

 昨年十一月から萬葉集全歌通読を始め、拙ブログの今年の元旦の記事では、年内読了を目標として掲げた。主に、角川ソフィア文庫版の伊藤博訳注四巻と岩波文庫新版五巻の二つを主テキストとして、それにさらに他の注釈書もときに参照しながら、巻を追って一首一首順に読んできた。今日で巻第十九を読み終え、明日からいよいよ最終巻巻第二十に入る。巻第二十は、長歌六首、短歌二百十八首の計二百二十四首。大みそかまであと五十日あるから、ときどき休みをいれても、日に五首ずつ読めば、読了できる。もっと簡単に読み上げることができるだろうと、始めたときは高を括っていたが、いろいろと雑事にかまけて、しばらく中断してしまったり、歌によっては注釈書をいくつもあたることで時間がかかったりして、思った以上に時間がかかってしまった。
 巻第十九を読んでいて、しみじみと感じられたことの一つは、越中赴任中の家持が同地あるいは近隣地方の官人たちと結んでいた友情の深さと細やかさであった。他方で、家持は、世間の無常を悲しむ歌を少なからず詠んでおり、その孤愁の深さは覆うべくもないが、その個としての孤独の深さが友情を大切にする気持ちもまた深めているのだろう。
 話は変わるが、今朝、プールに行く前後に万葉集を読み、その後、昨日一応仕上げた時間割の再確認をしているとき、例のごとくストリーミングで音楽を低音量で流していたら、キャロル・キングの “You’ve Got a Friend” が始まった。「ああ、懐かしい」と、思わず作業の手を休め、聴き入ってしまった。「永遠の名曲」なんて言葉、めったなことでは使いたくないけれど、1971年に発表され、翌年グラミー賞最優秀楽曲賞を受賞したこの曲は、文句なしにそれに値すると思う。今朝から繰り返し聴いている。
 著名な歌手たちによるカヴァーも多数ある。マイケル・ジャクソンも1972年、声変わり前の14歳にカヴァーしている。日本人歌手では、小野リサがボサノヴァ風アレンジでしっとりと歌い上げている。













「夕焼け小焼け」― 私はどこに帰ることができるのか

2018-05-31 20:25:28 | 私の好きな曲

 普段、家で仕事をしているとき、ほとんどいつも音楽を低い音量で流しています。
 選曲は、ジャンルを問わず、作業効率を上げてくれそうな曲集か、集中力を高めてくれるという謳い文句は鵜呑みにしないにしても、集中を妨げない穏やかな曲になることが多いです。人によって好みもあることでしょうから、一概には言えませんが、私の場合、器楽曲が圧倒的多数です。特にピアノソロですね。
 先月だったか、誰が弾いているのかも気にせずに、日本のメロディーを集めたピアノソロ曲集をアップル・ミュージックでふと選び、ストリーミングで流していました。そうしたら、懐かしい童謡「夕焼け小焼け」が流れはじめたのです。
 自分でも驚いたのですが、幼少期からそれこそ何度聞いたか知れないその曲が久しぶりにゆったりとした速度で流れてきて、少し耳を傾けていると、涙が止まらなくなってしまったのです。数時間後に締切りが迫っている仕事があるというのに。
 そのときの感情をどう言い表したらいいのでしょうか。わけもわからず何かとんでもなく遠くまで来てしまって、帰り道を見失ってしまったことに気づいた小さな子供が感じるであろう心細そさにどうしようもなく胸が締めつけられてしまったとでも言ったらいいのでしょうか。
 演奏者は、作曲家・ピアニストである谷川賢作でした。本人はこういう紹介のされかたはきっと好まないでしょうけれど、お父さんが現代日本の最も優れた詩人の一人谷川俊太郎、お祖父さんが元法政大学総長で高名な哲学者谷川徹三です。
 それ以来、彼のアルバム(六枚ほどあるお父さんとのコラボレーション・アルバムも含めて)をよく聴いています。












「雲雀についての哲学的考察断片」スピンオフ ― 天から舞い降りてくるかの如き音楽

2018-03-06 00:09:17 | 私の好きな曲

 今日の記事は、昨日までの四話連続の「雲雀についての哲学的考察断片」からのスピンオフです。
 遥か天空から舞い降りて来るかのような雲雀の歌声についての記事を書いていて、モーツアルトのK361「13の管楽器のためのセレナード~グラン・パルティータ」第3楽章アダージョのバスーンとバセットホルンによる短い前奏後のオーボエの入りの旋律を想い出しました。あれこそ天から舞い降りてくるかの如きと形容するのが相応しい音楽の一つではないでしょうか。この一節、映画『アメデウス』でサリエリが初めてモーツアルトの天才に触れて衝撃を受けるあの有名なシーンで実に効果的に使われていましたね。
 天から聞こえてくるかのような音楽ということでもう一つ思い出したことがあります。もう何十年も前のことなので曖昧にしか覚えていないのですが、確か、吉田秀和の『私の好きな曲』(新潮文庫版)の中で読んだのだったと思います。シューベルトの交響曲第8(9)番ハ長調「ザ・グレート」第2楽章アンダンテ・コン・モートのホルンの八連下降音について、同曲をシューベルトの死後に発見したシューマンは、「天の使いが空から降りて来るようだ」と評したのではなかったでしょうか。
 どちらの曲にも、それこそ数え切れないほどの名演奏がありますね。私のお気に入りは、「グラン・パルティータ」の方は、カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管楽アンサンブルの演奏(1970年録音)。因みに、『アマデウス』の中で使われていた演奏は、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズの演奏(1984年録音)でした。これも秀演だと思います。「ザ・グレート」の方のお気に入りは、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンの演奏(1981年録音)です。ギュンター・ヴァント指揮ベルリン・フィル(1995年ライヴ録音)のきりりと引き締まった演奏もいいですね。
 そうそう、「ひばり」繋がりということで言えば、ハイドンの弦楽四重奏曲に「ひばり」(Op. 64 N°5, Hob. III :63)というタイトルが付けられた超有名な名曲がありますね。これは第1楽章冒頭の旋律が雲雀の囀りに似ているから付けられたということだそうですが、ハイドン自身が付けたものでもなく、いつ誰によって付けられたのかも不明なままのようですね。
 この曲も名演奏に事欠きません。個人的な好みに過ぎませんが、よく聴く演奏は、古楽器演奏では、フェステティチ四重奏団。現代楽器演奏では、コダーイ弦楽四重奏団。後者は、いわゆる楷書の正統派の演奏なんですが、ほんとうにいつでも私の気持ちにぴったりくる演奏で、何度聴いてもその度になんか嬉しくなっちゃいます。
 以上、「〈ひばり〉系」の音楽ということで、「雲雀についての哲学的考察断片」と題された一連の記事の内容には直接関係しないことでしたが、一言触れさせていただきました。
 それでは、明日はまた「雲雀についての哲学的考察断片」に戻ります。