城郭探訪

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歴史ブロガーの「東山道をめぐる攻防の地を訪ねて」 後

2012年07月15日 | ブロガーによる歴史探訪情報発信

 

・北畠貝行墓

北畠具行卿墓・徳源院の案内板

    ⇐あと50m    

元弘(げんこう)の変(1331)で失脚した北畠具行の墓。徳源院(とくげんいん)(清滝寺)の南700m、丸山(285m)の山頂にあります。 後醍醐(ごだいご)天皇に仕えた具行は、鎌倉幕府打倒の謀議に度々加わり、その中心的存在でしたが笠置(かさぎ)落城の後に幕府方に捕らえられ、鎌倉に護送される身となりました。                                                                                             しかし、護送の途中、その人となりを惜しんだ京極道誉(きょうごくどうよ)(佐々木高氏)は、清滝寺(きよたきでら)に彼を留め、1ヶ月余りにわたって幕府に具行の命乞いを続けました。しかし、その願いも空しく、元弘2年(1332)6月19日にこの地で斬首され、その生涯を閉じました。
 墓は高さ204cmの宝篋印塔で、死後16年を経て建立されました。今もなお、6月19日の命日には、地元の人々によって手厚く供養されています。国指定の史跡です。

墓所への道、旧東山道・・・  墓所への道の入口の三叉路に芭蕉の句碑

・徳源院

弘安9年(1286)、京極氏の初代氏信が建立。京極家歴代の菩提寺である天台宗の寺。                                             京極氏は、鎌倉中期に近江で勢力を振るっていた近江源氏佐々木氏から分かれ、家名は氏信の宿所が京都の京極高辻(きょうごくたかつじ)にあったことによります。

       二代目道誉桜(京極家5代目当主・京極道誉が植えたと伝わる しだれ桜)代目道誉桜

  本堂裏に、清滝山の自然林を借景に回遊式の庭園があり、春には道誉桜と称されるしだれ桜が趣きを添えます。もにじや堂前に群生する萩が咲きこぼれる秋の風情も格別とか。小堀遠州庭園。

本堂      京極高豊の寄進した三重塔

<京極家墓所>

  

国の史跡に指定されている墓域には一族の墓が存在し、閑静なただずまいを見せる境内に、本堂、位牌殿、三重塔などを有します。なかでも朱塗りの三重塔は、寛文12年(1672)に讃岐丸亀藩主であった京極高豊が建てたもので、県の指定文化財になっています。
 寺地は、もと氏信の柏原館があったところで、<京極家墓所>
 京極家の菩提寺・徳源院(とくげんいん)(清滝寺(きよたきでら))の本堂裏手の山麓にあります。上段の始祖氏信(うじのぶ)を筆頭に、南北朝時代に活躍した道誉(どうよ)を含む、歴代当主の墓碑宝篋印塔(ほうきょういんとう)が18基。下段には、それ以降の当主や分家やらの宝篋印塔14基と、淀殿の妹・はつをめとった京極高次(たかつぐ)の墓石などが、整然と並んでいます。
 京極家は、浅井氏の台頭とともに一時期衰え、寺も荒れましたが、寛文12年(1672)高豊(たかとよ)が境内に三重塔(県の指定文化財)を建てて以来、勢力を取り戻しました。この時、付近に散在していた墓を一カ所に集めたといいます。
 塔の大きさは様々で、京極家の栄枯盛衰を表しています。現在、国の史跡および県の史跡に指定されています。

     京極19代、高次の墓は別格(石廟内部に宝篋印塔がある)  

片隅に北畠具行の墓が???                                                        元弘2年(1332)南朝方の北畠具行が捕らえられ、京極導誉によって鎌倉へ送られる途中、柏原(現山東町)で殺害されたが、このとき当寺に約1ヵ月間留め置かれたと伝えられている。

 

 

 

参考に:滋賀県米原市上平寺

 

 

京極氏一族の墓

 

  

京極氏の一族の墓と伝わる五輪塔。「上平寺城絵図」にも「御廟所」の記載がある。京極高清の墓石はもとはここにあったが、江戸時代に丸亀藩主京極高豊が京極家の菩提寺徳源院に歴代藩主の墓を整備した時に徳源院に移されたという。墓石の一つには「浄光院殿芳室宗口大禅尼 永正三(1506)年四月七日」の文字があり、京極氏ゆかりの女人の墓と伝えられているという。

京極氏の本城「上平寺城・館跡」弥高寺跡・弥高寺城址(伊吹山系650mの天空の城)

米原市観光MAP                   

    中山道(旧東山道)

  

・参考資料:現地説明の神主、語り部、文化財保護課(県)・現地説明板、パンフレット、HP・BLOG等々

 

本日の歩数 13,882歩   2時間23分 9.7km

 消費カロリー 465.9kcal    脂肪消費量 66.5g

 

 次回Dコース:歴史ブロガーの「木曽殿最後の地・膳所を訪ねて」 前半 お楽しみに


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