城郭探訪

yamaziro

岡村城    近江国(栗東)

2016年04月21日 | 平城

お城のデータ

所在地:栗東市岡   map:http://yahoo.jp/NPvC-R

現 状:圃場

区 分:平城

築城期:室町期

築城者:宇野弥三郎家永

遺 構:圃場整備で消失、城跡碑・駒札

目標地:呉羽テック・治田郵便局の西方直線約400m・地山古墳

駐車場:城跡碑前に路上駐車

訪城日:2016.4.21

お城の概要

栗東市岡の田んぼのあぜ道に「城跡碑と駒札」ポツンと建つ(新幹線と名神高速道路の間に)

江戸時代以前の官道、東海道に接し、通行を監視する要地にあった。場所は小槻大社のお旅所、若宮神社の西側の高台にあった。が、圃場整備で遺構は消失、「平成十九年一月二十一日 岡自治会」によって、城跡碑と駒札が設置された。

お城の歴史

現地駒札説明板・城跡碑説明文には、

 初代城主は田上の関ノ津城宇野源太郎の子で弥三郎家永といった。家永は室町幕府の初代将軍足利尊氏に属していた多くの戦功で宇野丸の太刀と岡の地を与えられ、この地に城館を築いた。

 暦応四年八月二十八日戦死の記録があり、築城はそれ以前のことである。子孫は代々小槻大社の榊本衆を務めている。(駒札の説明文)

 城跡碑には、「岡村城址 室町時代の暦応年間(1338~1342)宇野彌三郎家永が、戦功により足利尊氏から宇野丸の太刀と岡の地を与えられ入封したことに始まる。江戸時代初期まで存在したようです。」

「所在地 滋賀県栗東市岡 四二四番地(旧ニ三番地)この城は当時都と東国を結ぶ主要な街道であった、伝東海道の街道坂(通称かとさか)に南面して築城された中世城館であったと推定されてる。。

 

 「岡村城址 室町時代の暦応年間(1338~1342)宇野彌三郎家永が、戦功により足利尊氏から宇野丸の太刀と岡の地を与えられ入封したことに始まる。江戸時代初期まで存在したようです。」

 

「所在地 滋賀県栗東市岡 四二四番地(旧ニ三番地)この城は当時都と東国を結ぶ主要な街道であった、伝東海道の街道坂(通称かとさか)に南面して築城された中世城館であったと推定されてる。

参考資料:現地駒札説明板、現地城跡碑説明文

  本日の訪問ありがとうございす!!


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