登山口から登山道に入り歩くこと約30分で鳴谷池という一休みするにはもって来いの場所に出ます。
竜王町に位置する鏡山は古来、新羅からの渡来人「天日槍(あめのひぼこ)」の持ってきた八宝のうち、鏡をこの山中に埋めたされる山で、古くから信仰の山としてあがめられている。
そんな山頂近くには推古天皇の勅願所として聖徳太子が創建したといわれ、後「信長の焼き討ち」に遭い再建される事無く廃寺に成ってしまった「雲冠寺(うんかんじ)」跡が今も山中にあり、2~3小さな磨崖石仏も有ると言うので訪ねてみました。
整備された遊歩道を約30~40分登ると雲冠寺跡の標識がありその指示通りに登っていくとこの石仏さんがお出迎え。緩斜面に立つ大石の正面にやっぱり将棋の駒のような五角形の浅い彫り窪み。彫りくぼめの高さは1m足らず、中央上部には小さな二重蓮弁の上に立つ阿弥陀如来立像! 井戸跡が今も、はっきり残されている。
雲冠寺跡の石組みは山肌にへばりつくようにあちこちの斜面に残っていて、確かに此処に寺があったことを物語っています。 雲冠寺跡の石組みは山肌にへばりつくようにあちこちの斜面に残っていて、確かに此処に寺があったことを物語っています。ほとんど、展望できない展望広場! 観音寺城が正面に!訪問の証に、my poleを
訪問の証に、my poleを
全く、木々の成長でパノラマ・・・・見えませんのでパノラマ図を!竜神社の石段下に「ベンチコンロ」が龍王宮(りゅうおうぐう)
古今集にも数多くの歌人たちが詠った鏡山。
山頂近くには聖徳太子26歳の時(600)に自ら観音像を彫られ創建された雲冠寺(うんかんじ)跡があります。
嵯峨天皇(809~823)の時、伝教大師(最澄)(767~822)に勅旨が下り再建。堂塔僧坊五堂、精舎千坊(1000坊)が立ち並んだといわれます。
その雲冠寺(うんかんじ)跡近くに、雨の神・水の神ともいわれる八大竜王の一つ摩耶斯竜神(まなしりゅうじん)が龍王宮としてまつられ霊山、竜王山と言われています。
日本書紀に残る「近江国の鏡村の谷の陶人」。
鏡山古窯址群-須恵器(すえき)
滋賀県下最大の須恵器窯跡群として著名なのが、この鏡山古窯址群です。確認されている窯跡の数は50か所以上があり、恐らくその総数は100基に達するであろうと推定します。
窯跡の分布域は、滋賀県蒲生郡竜王町薬師・小口・山中・七里・須恵・山面 ・鏡、野洲市入町・大篠原にまたがっています。この窯跡群は、6世紀前半に須恵器生産を開始し、6世紀後半から7世紀代にかけて最盛期を迎えたそうです。その後、生産は8世紀中頃まで継続することになります。
なお、この窯跡群の一部の工人集団について、「日本書紀」の中の垂仁天皇3年3月条のところに「近江国の鏡村の谷の陶人」として登場する事でも知られています。 現在の竜王町須恵地区の地名の由来は、この須恵器の窯跡の一つとして地名が生まれたと伝えられています。
小学校で昼食、おにぎり3個とトン汁!鏡山
岩屋古墳は、墳丘の全長が約36mの横穴式石室を埋葬主体とする前方後円墳です。
石室は、江戸時代に奥壁の一枚岩に不動明王を刻み、「岩屋不動」として信仰されています。
石室の現状の大きさは、玄室の長さ5.4m、幅は奥壁部1.95m、玄門部で2.5m、高さは2.4m。
古墳自体の調査が行われてないため、明確な築造年代はわかりませんが、横穴式石室の構造から6世紀中葉と考えられます。
http://www.rmc.ne.jp/dragon-kanko/area/nature/kuzushi/kuzushi.htmlオウゴ古墳
消費カロリー 617.6kcal 脂肪消費量 88.2g
今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。