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島津家家紋?キリシタン?謎の「十」刻印石    山城国(山科)

2016年05月30日 | 遺蹟

島津家家紋?キリシタン?謎の「十」刻印石、京都の石切場で発見

   京都新聞 2016.5.30

新たに見つかった「十」が印された大名刻印石(京都市山科区小山)

 伏見城や大坂城の石垣の石切場だったとされる京都市山科区の山中で、「十」の印が入った大名刻印石が29日までに見つかった。漢数字か島津家か、はたまたキリシタン大名を示すのか…。山科の地に新たに現れた刻印石はどんな意味を持つのか、採石場跡の謎はさらに深まっている。

 新たな刻印石は、市遺跡地図台帳に記載されている「大塚・小山石切丁場」がある同区小山の麓付近で地元住民らの研究グループが見つけた。こけむした大きな石の表面に縦棒約14センチ、横棒約10センチの「十」の印が刻まれ、石を割るための矢穴も入っていた。

 採石場は豊臣時代から徳川時代にわたって使われたとみられている。これまでに毛利家の「一に○」と、「平四つ目結」など15個の刻印石が見つかっている。

 「十」の意味は、研究グループの中でも議論が分かれており、漢数字で採石場の範囲を表した▽島津家の家紋で採石範囲を示した▽キリシタン大名の暗喩-などの意見が出ている。ただ、近くに毛利家の石切場があるため、同じ西国大名の島津十文字を示す可能性は高い。

 研究グループの武内良一さん(75)は「採石場から切り出して麓へ運ぶ途中で置いていかれた石ではないか。淀城などでも似た刻印石があり、伏見城から転用された流れがある程度分かってきた。まだまだ多くの石があると思うのでほかの人も見つけて報告してほしい」と言う。

 採石場に詳しい芦屋市教育委員会の森岡秀人さんは「初めて『十』の刻印が出てきたのは重要だ。漢数字の可能性は低く、家紋のほかにはキリシタンの印や『×』なども考えられる。今後の調査に期待したい」と話している。

「十」の刻印石が見つかった現場「十」の刻印石が見つかった現場

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