城郭探訪

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三上陣屋 近江国(野洲)

2013年12月09日 | 陣屋

堀跡と思われる小川が残る他は宅地

お城のデータ

所在地:滋賀県野洲市三上 マップ:http://yahoo.jp/TOkW6n

区 分:陣屋(現状個人宅地)

遺 構:堀・石積・移築門

城 主: 遠藤胤親,遠藤胤将,遠藤胤忠,遠藤胤富,遠藤胤緒,遠藤胤城

訪城日:2013.12.5

堀跡と思われる小川が残る他は宅地

三上陣屋(みかみじんや)は滋賀県野洲市野洲町三上(近江国野洲郡)にあった三上藩の藩庁である。

堀跡と思われる小川が残る他は宅地

歴史

元禄11年(1698年)、譜代大名の遠藤胤親が近江国内で1万石を与えられ、野洲郡三上に陣屋を構えた。遠藤氏は美濃国郡上八幡城主であったが、元禄5年(1692年)に常久没後に改易とされたが、親族の旗本白洲氏の子息を一旦大垣藩戸田氏の養子とした上で、改めて遠藤氏相続としてお家再興が実現した。

その後、遠藤氏は大番頭として、二条城、大坂城の城定番を勤めている。元禄13年(1700年)近江三上に移封され、陣屋を構えた。

第5代藩主で若年寄の遠藤胤統は功績を認められて2千石の加増をうけた。第6代藩主の胤城(たねき)の時、明治維新を迎えている。明治3年(1870年)に和泉国吉見に移っている。

遺構

陣屋址は現存しない。滋賀県湖南市岩根の常永寺山門に陣屋表門が移築現存している。また、民家に陣屋裏門が移築現存している。将軍上洛御殿の一つである、永原御殿が草津市の芦浦観音寺書院に移築されている(重要文化財)。

 

歴 史

元禄11年(1698年)遠藤胤親によって築かれた。 元禄5年(1692年)3月郡上八幡城主遠藤常久が7歳で嗣子なく没し、幕府によってお取り潰しとなったが、先祖の遠藤慶隆の功績が認められ、一族の遠藤胤親を大垣新田藩主戸田氏成の養子とし、常陸国・下野国に一万石を与えられて存続した。この胤親の所領が近江に移され三上陣屋を構えて三上藩となった。

嘉永5年(1852年)遠藤胤緒のときに二千石の加封があり一万二千石となった。 慶応4年(1868年)新政府に敵と見なされて所領を没収されたが、同年罪は許され領地は返還された。明治3年(1870年)遠藤胤城のとき、和泉国吉見へ移された。

三上陣屋は通称近江富士と呼ばれる三上山の西麓に築かれていた。 現在は堀跡と思われる小川が残る他は宅地となり、明瞭な遺構は残っていない。

陣屋の門と伝えられるものが、湖南市岩根にある常永寺と陣屋跡の直ぐ近くの民家に移築されている。

現状 

三上陣屋は通称近江富士と呼ばれる三上山の西麓に築かれていた。 現在は堀跡と思われる小川が残る他は宅地となり、明瞭な遺構は残っていない。

陣屋の門と伝えられるものが、湖南市岩根にある常永寺と陣屋跡の直ぐ近くの民家に移築されている。

 車は三上山裏登山口駐車場(天保義民碑前)

車は三上山裏登山口駐車場(天保義民碑前)・・・約10台可

 

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