城郭探訪

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観音寺城(佐々木城)  近江国(安土)

2016年03月06日 | 山城

  近江には城跡や古戦場など戦国時代を象徴する歴史遺産が数多く存在します。

中でも近江の戦国大名六角氏の居城である観音寺城は、標高433mの繖山に多数の郭が広がる巨大城郭であり、安土城以前の城郭としては例外的に石垣を多用した点が特徴として知られています。

戦国時代の近江を代表する歴史遺産である史跡観音寺城跡の新たな魅力を探検する。

史跡現地探訪「観音寺城を探検する」

日時:平成28年(2016年)3月5日(土)9時30分~16時30分

集合場所:ぷらざ三方よし(東近江市五個荘塚本町279)

主催:滋賀県教育委員会 協力:豊かな杜づくり隊 安土がんばります隊

探訪行程:ぷらざ三方よし→川並道→伝布施淡路丸→大土塁→伝本丸→伝平井丸→伝池田丸→大石垣→観音正寺→伝目賀田丸→川並道→ぷらざ三方よし

案内講師 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課専門職員

定員:160名 各班40名 4班編成 参加費:無料

観音寺城(佐々木城)城跡碑

結神社から、観音正寺への参道を登る。

お城のデータ

所在地:近江八幡市(旧蒲生郡)安土町石寺 map:http://yahoo.jp/tDYKvx
別 称:佐々木城
築城期:応仁・文明年間(1467~87)
初城主:佐々木六角氏頼
現 状:山林

区 分:山城
遺 構:本丸・平井丸・落合丸・池田丸・淡路丸・目加田丸・女郎岩、大土塁・堀切・石垣・井戸・暗渠・埋め門
城 域:2500m×2000m
標 高:432m 比高差:325m 
戦 い:永禄6年(1563)  ○六角家臣・浅井長政 VS ●六角義治・六角承禎
    永禄11年(1568  ○織田信長      VS ●六角承禎

お城の概要

繖山の山上に築かれる。南腹の斜面に曲輪を展開、家臣や国人領主の屋敷を配した。

山中には至る所に石垣が見られ、山全体が城塞化されており、これらの石垣遺構は弘治2年(1556)より六角義賢が改修したものとされる。

中でも、本丸の薬師口(桑実寺方面)の食違い虎口は、永禄11年の信長の近江侵攻以前に築かれていたものであり、永禄年間における六角氏の築城,縄張り技術を考察する上では非常に貴重な遺構と云える。城砦における虎口構造も発達してる。

 また、平井丸の大石で組まれた石垣の算木積みの技法、あるいは池田丸等の石垣には “横目地” が通っていること等を観ていくと、天正4年(1575)から始まる安土城築城以前の近江における石積み技術の高さを窺い知ることが出来る。

 観音寺城における高度な石積み技術を示すのが、馬淵邸付近にある7mを越える高石垣や大手道にある6mほどの高石垣の存在と、本丸東側の階段中腹に観られる排水用の暗渠や池田丸の曲輪内部に観られる排水枡である。高度な排水対策が施されていることで400年以上経った現在でも見事な石垣が崩れることなく残っているわけで、安土城や大阪城などの近世城郭に先行して築かれた “石垣造りの観音寺城” の存在意義は非常に大きいと云える。                 

総石垣で、安土城以前の中世城郭においては特異な点とされる。天文年間には城下町・石寺も置かれ、楽市が行われていた。周辺は琵琶湖や大中の湖、美濃から京都へ至る東山道、長光寺集落から伊勢へ抜ける八風街道があり、それらを管制できる要衝に位置する。

お城の歴史

近江源氏の佐々木氏、後に近江守護六角氏の居城で、小脇館、金剛寺城を経て六角氏の本拠となる。

 観音寺城は標高433mの繖(きぬがさ)山に築かれた近江源氏・佐々本六角氏の居城で、六角氏が、いつごろ繖山に城砦を築いたのかは明らかではないが、建武2年(1335)足利尊氏についた氏頼(時信という説もある)が、奥州より攻め上ってきた北畠顕家軍を阻止しようとして、観音寺の城郭に立て龍もったという「太平記」の記述が初見とされている。

 永禄11年(1568)織田信長が第15代将軍足利義昭を奉じて上洛する際に、これを阻止しようとした六角承禎(義賢)、義弼父子は箕作場や和田山城をはじめとする諸城に籠もって戦うが、支えきれず甲賀に遁走し、観音寺城は落城した。

布施淡路丸へ

食違い虎口東端虎口南東虎口

大見付伝・伊庭丸大土塁

佐々木城址碑(高さ3m)大土塁城の繋ぎ道

三国岩伝・沢田丸伝・楢崎丸伊庭丸下の高石垣

観音寺城伝本丸跡へ。そこから伝平井丸・伝池田丸・女郎岩へ

伝・本丸へ

本丸・搦め手・(桑実寺)食い違い虎口

伝・三ノ丸

伝・平井丸

伝:平井丸の潜り門 

伝落合丸へ

伝・落合丸虎口

伝落合丸

伝・池田丸

大石垣塁(女郎岩曲廓)へ矢穴多く残る

女郎岩と呼ばれる大石群、石塁になっており、曲廓の大石との間が虎口。

女郎岩女郎岩と呼ばれている大石が散在する郭。ここから南の方角を見ると東山道や箕作山城が見える。

観音正寺へ

参道の算木積石垣

伝・馬場丸の石垣

目加田丸へ

目加田丸の古井戸参道に案内板

川並口へ下山・・・

結神社

 境内から観音正寺への登り口がある。この結(むすび)神社は「ゆい」と呼ぶ神社もある。古くから生産、縁結びなどにご利益があるという。近年は縁結び、恋愛の神社として知られる神社である。いまから900年ほど前に創建された神社で、京都と鎌倉を結ぶ街道沿いにあることから、尾張国(現在の岐阜県)の歌枕として知られ、和歌にも詠まれた古社である。岐阜県安八にある結神社は織田信長がこのお社を篤く信奉していたという。安八の結神社のように有名ではないがこの神社も建物に格式の高さが感じられ、特に本殿前の舞台が左右に分かれているのが珍しい。地元の人々以外あまり知られることもなくひっそりと歴史を刻み、だが格式が高くて寺暦が古い近江の多くの神社仏閣の典型のような神社であるといえよう。

 

本日の訪問ありがとうございす!!


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