城郭探訪

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荒神山城 近江国(彦根)

2013年12月10日 | 戦国山城

 

 山頂までトライブウェィがつけられており、楽々登城できる。

山頂には荒神山神社が祀られており、神殿の裏手に廻ると見事な石垣を観ることが出来るが、この石垣は城とは無関係である。

お城のデータ

所在地:彦根市清崎町初  map:http://yahoo.jp/oC699G

現 状:荒神山古墳       

区 分:山城

遺 構 :石積み・竪堀・曲輪

築城期:南北期

築城者:日夏安芸守

城 主:日夏安芸守

廃 城:織田信長によって比叡山が焼き討ちされたのと前後して焼き払われたとある

標 高:262m 比高差150m

目標地:NHKの中継電波塔(荒神山神社)

駐車場: NHKの中継電波塔(荒神山神社)駐車場

訪城日:2013.12.09

NHKの中継電波塔(荒神山神社)駐車場NHKの中継電波塔(荒神山神社)駐車場を背に「荒神山歴史めぐり」コースを100m

土塁(植栽:獣害防止ネットで囲われて)

後円墳が主郭

後円墳が主郭主郭へ主郭の東側

東側の切岸に、石垣が北側・・・物見櫓か?物見櫓か?・・・琵琶湖・多景島三角点

お城の概要

山頂までトライブウェィがつけられており、楽々登城できる。

山頂には荒神山神社が祀られており、神殿の裏手に廻ると見事な石垣を観ることが出来るが、この石垣は城とは無関係である。

荒神山城は 宇曽川の左岸、標高262mの荒神山の山頂付近に築かれた城である。南方約3kmには山崎山城もあり、琵琶湖岸の街道監視の城である。

 荒神山城は、神社から北方尾根を100mほど歩いた所に位置している。饅頭型の東斜面と北斜面に小曲輪を配し、東斜面には石積みがみられる。また、荒神山神社の背後にも階段状の曲輪が認められる。

荒神山城は、彦根市街の南方に大きくそびえる荒神山山頂付近にあった。現在山頂には荒神山神社が建ち、東西から車道が通っていて容易に訪れることができる。

 荒神山は、山全体に整備されたハイキングコースがある。残念ながら荒神山に城跡だと、地元の人も知ろ人は少ない。

しかし、この山塊には荒神山城の他に、北に日夏城、西に山脇古城山城、南に山崎山城と実は城跡の宝庫なのだ。

城域は山頂の神社東側、荒神山神社の裏から北東に少し下ったところに古墳があり、その古墳が主郭・城域である。

古墳跡があり、直下には県教委の石碑が建っている。頂部の北側の墓地あたりは広い削平地になっている。東斜面の腰曲輪形状付近には石垣も。この頂部と神社の間には何段かの削平地や竪堀があるが、これも城遺構である。

お城の歴史

荒神山城は、築城年代は定かではないが、観音寺城主六角氏の重臣・日夏安芸守が荒神山城(日夏氏[六角氏の庶流]居城)を築く。

荒神山神社は由緒書きによれば、慶応4年(1864)神仏混淆を廃止となるまでは、お寺と神社が同居していたとのことである。

山頂にある荒神山神社は、明治維新までは奥山寺といい、宗派は天台宗で織田信長によって比叡山が焼き討ちされたのと前後して奥山寺も焼き払われたとある。。

神社が城域であったならば、信長の近江侵攻までには廃城になっていたという。

関ヶ原合戦後、井伊氏が近江に封ぜられた際に、佐和山・磯山とともに新たな築城の候補となったとされるが、最終的には金亀山(彦根城)に築城された。

 

 また、井伊直政が近江に封ぜられた時に、佐和山,磯山と共にこの山が築城の候補となっていたが、最終的には金亀山(彦根城)に築城された。

秀吉が寄進したという石灯籠

天正12年に秀吉が寄進したという石灯籠

なお、庭園には天正12年に秀吉が寄進したという石灯籠が今も残っており、灯籠には「天正十二年二月吉日」と彫られている。

NHKの中継電波塔(荒神山神社)駐車場,帰りもトライブウェィ

滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、近江の城郭

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