伊賀国衆(六角家の同盟者) 国人一揆、伊賀平楽寺を本拠。 (北伊賀)北朝幕府方。1487年北伊賀衆六角氏と同盟。 (南伊賀)南朝方。1428年南朝・北畠満雅と関氏同盟。 北畠(織田)信雄の家臣団
<伊賀守護> 仁木義視 (*)長政・入道友梅。伊賀守護家。1571年伊賀復帰。織田家に従属。1578年北畠信雄の敗退後に国衆の一揆により追放される。 下山* (*~1578)甲斐守。北畠家臣。伊賀旗頭家。親織田派。丸山城を修理改築。第1次「伊賀侵攻」に呼応。 福地定成 (*~1582)伊予守・宗隆。先祖は柘植三方衆。伊賀四大将家のひとつ。1581年9月織田家に第2次「伊賀侵攻」に呼応。1582年「本能寺の変」後の伊賀一揆で襲撃される。一門に北畠信雄の家老となる柘植三郎左衛門・保重。<松尾芭蕉の先祖らしいです。> 耳須具明 (*~1581)弥次郎。伊賀地頭家。河合郷の豪族。1581年9月織田家の第2次「伊賀侵攻」に呼応。織田家に内通したことにより、他の伊賀衆の復讐の標的となる。反撃にあい討死。
(柘植) 日置* (*)北伊賀の豪族。柘植三方衆。1428年南朝方・関家と抗争。1487年六角高頼と同盟。 福地* (*)北伊賀の豪族。柘植三方衆。1428年南朝方・関家と抗争。1487年六角高頼と同盟。 北村* (*)北伊賀の豪族。柘植三方衆。1428年南朝方・関家と抗争。1487年六角高頼と同盟。
(服部党) 藤林・百地も同祖。 藤林保豊 (*)(服部)・長門守・正保。伊賀上忍三家のひとつ。東湯舟郷の豪族。今川義元に出仕。のち織田家に通じる。<1581年の「伊賀征伐」に協力するとも。> 百地泰光 (1512~1581)(服部)・丹波守・正西。清右衛門の息。伊賀上忍三家のひとつ。伊賀南部・東部の友生の豪族。<三太夫は孫らしい。滝野氏に裏切られた感じです。> 服部保長 (*)千賀地・半三・石見守。伊賀上忍三家のひとつ。伊賀中部予野の豪(阿拝郡の豪族とも)。足利義晴に出仕。息に家康に出仕した服部半蔵・正成。<家康に出仕した服部氏は三河在住の分家のようです。><1560年に今川義元に呼応して海から尾張沿岸を攻撃した服部党との関係が気になります。>
(親北畠・反織田) 小波多* (*~1581)おばた・小幡。1581年「伊賀征伐」に親子ともに戦死。 高畠* (*~1581)1581年「伊賀征伐」に兄弟ともに戦死。東田原城主。 高畠* (*~1581)1581年「伊賀征伐」に戦死。西田原城主。 吉原* (*~1581)1581年「伊賀征伐」に戦死。吉原城主。1577年北畠具親を支援し戦争の発端をつくる。 多気* (*~1581)瀧。小倭七人衆。1577年北畠具親を擁立して挙兵。 川俣* (*~1581)小倭七人衆。1577年北畠具親を擁立して挙兵。 三瀬* (*~1581)小倭七人衆。1577年北畠具親を擁立して挙兵。
(伊賀国衆) 植田光次 (*)伊賀12人衆のひとり。「伊賀征伐」に柘植三郎左衛門を討つ軍功。1582年以降は秀吉に出仕するとも。 田屋* (*~1581)1581年「伊賀征伐」に戦死。河合城主。 岡本* (*~1581)1581年「伊賀征伐」に戦死。 高屋* (*~1581)1581年「伊賀征伐」に戦死。国府城主。 糟屋* (*~1581)1581年「伊賀征伐」に戦死。壬生野城主。上服部党。 竹野谷* (*~1581)荒木・左近。1581年「伊賀征伐」に戦死。木興城主。下服部党。 滝野吉政 (*~1602)十郎。滝野貞清の息。1581年「伊賀征伐」に総大将。柏原城にて降伏し赦免され北畠信雄に出仕。1582年変後は一揆に追われ伊勢に逃れる。柏原城主。
服部党がやはり気になります。伊勢桑名周辺で服部友貞率いる海賊が尾張沿岸を荒らしまわりますが、何か縁があるんじゃないのでしょうか。徳川への仕官は、「本能寺の変」以降なんじゃないのかなあ~。 もしくは柘植三郎左衛門達の柘植党や、瀧川一益に繋がる伴党が織田家の中では優勢で、駄目だとおもって三河に移ったとか・・。 北畠具教の家臣団 六角義賢の家臣団 |
<1550年代? 近江流出の人材> <親 織田信長勢力> 村井貞勝 (*~1582)織田信長の家宰。京都所司代。 瀧川一益 (*)織田信長家臣。関東御番役。 服部正成 (*)半蔵。 岩室重休 (*)長門守。 高畠* 堀部宗氏 (*)佐々木・六角。六角分家。尾張国の春日井郡比良郷に移住。織田信秀に出仕。息に(森川)氏俊。 <反 織田信長勢力> 河田長親 (*1545~1581)豊前守・貞政。近江守山出身。越後衆。上杉謙信家臣。上杉家の侍大将として織田家との前線へ。 河田重親 (*~1578)伯耆守。近江国出身。河田長親の叔父。越後衆。上杉謙信家臣。 吉江景堅 (*~1582)喜四郎・信景・資堅。越後衆。近江国出身。上杉家の侍大将として織田家との前線へ。 五十公野信宗 (*~1587)長沢・甚五郎・道如斎・三条信宗。元、能登の湯山城・長沢筑前守の家臣。上杉輝虎に召しだされ、揚北衆・新発田重家の妹婿。<結局は織田方に傾いたのに「本能寺の変」で立場が危うくなりました。> 小川元政 (*)右衛門・兵衛尉。近江出身。毛利家家臣。毛利家の侍大将として織田家との前線へ。<信長様の側近まで上り詰めた一揆の指導者、小川祐忠との関係が凄く気になる武将です。本能寺とも関わりがあったりして・・。> |