城郭探訪

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市原野城(野村氏館) 近江国(永源寺) 

2016年01月09日 | 平城

 市原野城の跡

お城のデータ

所在地:東近江市市原野町 (旧神崎郡永源寺市原野町)   map:http://yahoo.jp/c3y7av

別 名:野村氏館

築城期:室町期

 築城者:市原氏

 城 主:市原四郎長信・16代の市原与兵衛尉忠綱・17代信定。佐々木氏の臣、野村主勝、同十内左衛門、同主水

 区分:平城

目標地:恩報寺

駐車場:市原野公民館駐車場

 遺構;なし

 訪城日:2016.1.9

 

現況 

市原野城は、市原野の公民館や公園の一帯だとされるが遺構無い。

約25年前に行われた滋賀県教育委員会の調査では、「極く小部分に土塁跡の竹藪や石積みが探し出せる」とあるが、

現在公民館の周辺に石が配置されいるが、遺構ではない。

近くの白鳥神社は三方を土塁が巡り城館跡

歴 史

城主としては野村氏あるいは市原氏の名があり、市原氏は佐々木氏系。佐々木高信の三男、胤信の長男・長信は、永田氏を名乗り、次男の貞綱が市原氏の祖である。近江国蒲生郡市原邑大字市原野にあって市原氏を名乗る。この貞綱の長男、市原四郎長信は、市原城主、地頭職である。
 16代の市原与兵衛尉忠綱、17代信定まで市原城主。信定の時、伊勢国二木二郎四郎が近江国打越葛木山に陣をとり市原城を攻め、城を奪う。同族の六角氏頼の来援が遅れ落城。信定の長男、長綱と次男、忠右衛門は、石山合戦に宗徒として参加、戦いに敗れ、河内の豪族茨田氏に寄寓。次男、忠右衛門は兄とともに参加後、茨田氏の口添にて河内国に隠れ住み農を業とした。

 一方、蒲生郡史や滋賀県教育委員会は以下のような見解を示している。
 玉緒郷市原野荘は古代文献にも散見されるに拘らずその具体的様相は中世文書にも見出せず、また大字共有文書1000余通にも城郭や城主に関連したものは現在では見当らない。 また蒲生郡志の古蹟名勝の項には「……等の住邸なり」と記しているがその根拠を示していない。
 従って郡史より2世紀半も古い淡海温古録の神崎郡の末葉、野村の項に「野村主膳正同主水正貞兼同十内左衛門屋形ノ近習物頭也、野村ハ三流アリ浅井ノ野村肥後守一流、粟本(栗太郡)ノ野村丹後守、同越中守、此ノ野村ト三流也、市原野村ハ孫流知レズ」とあることの当否を論ずる術もない。
 また市原野館の西方こ鎮座の白鳥神社には応永年間以降の年号刻印の鰐口や社記があり、中に鈴鹿下野守、信濃守、筑前守、周防守らの名が見られるが、これは城主ではなく、吉田ト部神道筋のものであるかも知れず、また野村源貞綱、倉垣義久、小倉実長の名も直ちに城主に当てる根拠もない。(滋賀県中世城郭分布調査)

信長公記  巻二  永禄十二年  9、伊勢平定  伊勢御参宮の事

 10月5日信長公は山田(現伊勢市)に入って堤源介邸に宿泊し、翌6日伊勢内宮・外宮・朝熊山へ参詣した。そして翌日帰陣の途につき、8日に上野(現三重県河芸町)へ出た。信長公はここで軍勢を解き、御茶筅殿を大河内城主として介添えに津田掃部を置き、安濃津(現津市)・渋見(現津市)・木造の三城には滝川一益の人数を入れ、上野には織田信包殿を封じた。そうしてみずからは馬廻のみをつれて京へ向かうことにし、諸国の軍勢にも帰国を許した。
 京へは千草越え(現三重県菰野町から鈴鹿山脈を越えて近江へ出る道)の道をとり、9日に千草へ入ったが、その日に雪が降り出して山中は大雪となってしまった。それでも翌10日には江州へ出て市原に宿泊し、11日京へ入った。京では公方様へ勢州表平定の報告をし、そののち数日滞在して天下の政情を聞き、10月17日になって濃州岐阜へ帰陣した。

信長公記 巻三 元亀元年  5、遭難行路  千草峠にて鉄砲打ち申すの事

 5月19日、浅井長政は鯰江城(現東近江市愛東村鯰江)に軍勢を入れ、同時に市原(東近江市永源寺町市原野)に一揆を蜂起させて岐阜へ下る信長公の行く手を阻んだ。これにより信長公は近江路を断念せざるをえなくなり、日野の蒲生賢秀・布施藤九郎・香津畑(東近江市永源寺町甲津畑) の菅六左衛門の尽力を得て経路を千草越え(近江から伊勢へ抜ける経路。)に変更した。
 そこへ刺客が放たれた。六角承禎に雇われた杉谷善住坊という者であった。杉谷は鉄砲を携えて千草山中の道筋に潜み、山道を通過する信長公の行列を待った。やがて杉谷の前に行列が現れ、東近江市その中の信長公が十二、三間の距離(約22~24mほど)まで近付いたとき、杉谷の手から轟然と鉄砲が発射された。
 しかし天道は信長公に味方した。玉はわずかに体をかすめただけで外れ、信長公は危地を脱したのであった。
 5月21日、信長公は無事岐阜に帰りついた。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、蒲生郡志、信長公記、淡海の城 他

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