城郭探訪

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白洲正子が愛した近江  【石塔寺 近江国】  2013.4.6

2013年04月06日 | 観光ボランティアガイド

2013年4月~観光ボランティアガイドの案内の変更・・・初日

お客様の待受け駅を太郎坊宮駅に変更(初日)1名

「旧JRふれあいハイキングガイド」で計画の、お客様の待受け駅を一辺駅にも、3名体制で!

4月6日は、桜満開だが、あいにく雨天・突風の天気予報・・・。

東京からお客様1名様ご案内・・・・。

太郎坊宮駅すぐの1の鳥居!

台座の上の狛犬(今日気付きました!)

【大阪十三 太郎坊すし】奉納碑

今日は東京から男性1名、「太郎坊宮」へ御朱印帳・・・。

太郎坊宮駅~丁石地蔵~蛭子神社~のご案内。

太郎坊宮駅(Mさん合流)~「石塔寺」へ御朱印帳・・・

石塔寺(いしどうじ)

滋賀県東近江市にある天台宗の寺院。山号は阿育王山(あしょかおうざん)、本尊は聖(しょう)観世音菩薩(秘仏)。 「石塔寺」の名のとおり、境内には、阿育王塔と呼ばれる石造三重塔を中心に、数万基の石塔や石仏が並ぶ。毎年8月末には、「石塔フェスティバル(石塔寺万燈祭)」が開かれ、石塔と石仏に献灯が行われる。近西国三十三所観音霊場第二十二番札所

石段を登ると特異な形態をした三重石塔がそびえ立ちます。そして広場一帯を、何万という数の五輪塔や石仏の群が埋めつくしています。

三重石塔(伝・阿育王塔、重要文化財)

三重石塔は、奈良時代前期の作とされ、三重石塔としては日本最古・最大のもので国指定の重要文化財です。屋根は緩く膨れており、塔身は縦長、一番下の塔身は二枚石を合わせ、上部の安定をはかっています。三重塔東側の五輪塔2基とその横にある宝塔も、国指定の重要文化財です。

「こけむしてあはれぞ深き石塔寺ほとけの誓ひ世々にくちねば」

石仏は2体仏が目に付きます。

<重文>五輪石塔

画像 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<重文>石造宝塔

歴史

石塔寺は、聖徳太子創建の伝承をもつ寺院である。伝承によれば、聖徳太子は近江に48か寺を建立し、石塔寺は48番目の満願の寺院で、本願成就寺と称したという。聖徳太子創建との伝承をそのまま史実と受け取ることはできない。しかし、石塔寺がある滋賀県湖東地区には他にも西国三十三所札所寺院の長命寺(近江八幡市)、百済寺(ひゃくさいじ、東近江市)など、聖徳太子創建伝承をもつ寺院が多く、この地が早くから仏教文化の栄えた土地であるとともに、聖徳太子とも何らかのつながりのあったことを思わせる。

石塔寺境内にある数万基の石塔群の中で、ひときわ高くそびえる三重石塔については、次のような伝承がある平安時代の長保3年(1003年)に唐に留学した比叡山の僧・寂照法師は、五台山に滞在中、五台山の僧から、「昔インドの阿育王が仏教隆盛を願って三千世界に撒布した8万4千基の仏舎利塔のうち、2基が日本に飛来しており、1基は琵琶湖の湖中に沈み、1基は近江国渡来山(わたらいやま)の土中にある」と聞いた。

寂照は日本に手紙を送ってこのことを知らせた。3年後の寛弘3年(1006年)、播州明石(兵庫県明石市)の僧・義観僧都がこの手紙を入手し、一条天皇に上奏した。そして、一条天皇の勅命により、塔の探索を行ったところ、武士の野谷光盛なる者が、石塔寺の裏山に大きな塚を発見した。

野谷光盛と天皇の勅使平恒昌が掘ってみたところ、阿育王塔が出土した。一条天皇は大変喜び、七堂伽藍を新たに建立し、寺号を阿育王山石塔寺と改号した。寺は一条天皇の勅願寺となり、隆盛を極め、八十余坊の大伽藍を築いたという。

以上の伝承のうち、「インドの阿育王」云々が後世の仮託であることは言うまでもなく、

件の石塔は、実際には奈良時代前期(7世紀)頃に、朝鮮半島系の渡来人によって建立されたとみるのが通説である

この石塔は、日本各地にある中世以前の石塔とは全く異なった様式をもつものであり、朝鮮半島の古代の石造物に類似している。                        湖東地区が渡来人と関係の深い土地であることは、『日本書紀』に天智天皇8年(669年)、百済(当時すでに滅亡していた)からの渡来人700名余を近江国蒲生野(滋賀県蒲生郡あたり)へ移住させた旨の記述があることからも裏付けられ、石塔寺の三重石塔も百済系の渡来人によって建立されたものであるとの見方が一般的である。

鎌倉時代には、三重石塔(伝・阿育王塔)の周りの境内に、五輪塔や石仏が多数奉納された。

安土桃山時代、織田信長の焼き討ちにより、七堂伽藍、木造建築物、寺宝が全て焼失し、寺は荒廃した。その後、江戸時代初期、天海が弟子の行賢に指示し、一部復興されている。

文化財

重要文化財
  • 石造三重塔(伝・阿育王塔) - 奈良時代前期建立。石造層塔としては日本最古であり、石造三重塔としては日本最大。高さ7.6m。石材は花崗岩。 
  • 石造宝塔 - 正安4年(1302年)の建立。「宝塔」は、円筒形の塔身に宝形造(四角錐形)の屋根を付した形式の塔を指す。
  • 石造五輪塔(2基) - それぞれ嘉元2年(1304年)および貞和5年(1349年)の建立。

鐘堂前には「かれ野山父はは恋し 石の塔」という句碑があり、大小さまざまな石塔や石仏の表情に昔からの信者の願いが偲ばれます。

最上陣屋の移築門

最上陣屋の移築門

最上家の家紋(二つ引両)が、門内に下されて(土に直置き)。

引両紋

 引両紋は、じつに簡単な紋である。簡単すぎて文様としての美しさがないともいわれて、人気がない。しかし、引両紋は高貴で強運の紋である。引両紋の線は「竜」をあらわし、二本の場合は二匹、一本の場合は一匹の竜が点に昇ることを意味しているという。この紋は足利将軍家の紋であった、ということでもその強運がうなづける。(二つ引両)

~大塚城はblogをhttp://blog.goo.ne.jp/kkkk_015/e/cde18f65ec7f3aa003e9ba2cb63944b5

最寄駅;朝日大塚駅へ=電車1時間後)~

 

白洲正子が愛した近江 http://www.biwako-visitors.jp/shirasu/area/spot04_14.html

野洲へ行くいうことで、近江八幡駅までお送りました。

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。

 


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