城郭探訪

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垣見氏館  近江国(長浜)

2015年07月02日 | 居館

 

お城のデータ

所在地 : 長浜市宮司町   map:http://yahoo.jp/v5ZoP0

築城年 : 室町期

区 分:平城(居舘)

遺  構 : 堀、土塁

訪城日:2015.6.27

お城の概要

垣見氏館は、南北100m、東西50mの長方形で、南東部の隣りが宮川陣屋となっている。

舘の西側と北側に土塁、南側と西側に堀が残っている。南側の川(堀に利用)に面して門があり、ここが虎口とされている。
明治初期には、舘の四囲に堀が巡り、土塁も南東部を除きほぼ一周していた。

東部の土塁は、元禄11年(1698)に宮川藩(堀田氏)の陣屋が設けられた時に、破壊されたと考えられている。

現在も子孫がお住まいで、10点あまりの中世文書を相伝され、虎口付近には門も構えられ、さすが旧家と思わせる雰囲気が漂うのが嬉しい。

歴 史

垣見氏は、京極氏被官で永享10年(1438)に本拠であった神崎郡垣見(東近江市)からこの地に分住して来た。
文明3年(1471)には、比叡山から山門領坂田荘の公文に任ぜられている。
、宮司町内の元宮川村に属する当字には垣見氏屋敷が知られている。

元宮川山王と称した楞厳院荘の総社日枝神社があり、地名を姓にもつ宮川氏の屋敷が有ったものと思われる。

永享10年には京極持高が同社の領地を安堵し、京極被官の神崎郡に本拠を持っていた垣見氏が分住してきて、文明3年垣見源次が坂田荘公文職の美作入道の押領を訴えて同職についたとする。

戦国期は、浅井氏に仕え忠実な家臣で、特に小谷城落城12日前にあたる元亀4年(1573)8月18日の浅井長政からの感状の存在は有名である。

館前で分流する十一川・中島川の両川は、下流の村々にとって重要な用水となるもので、その流れを堀として使う垣見氏は、用水管理者の役割をも担っていたと考えられ、土豪と村々の関係を知る貴重な資料とされる。

浅井氏の家臣である垣見助左衛門の屋敷があったという記録が残されている。また垣見氏は坂田荘の公文という立場でもあった。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城

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