城郭探訪

yamaziro

小御門(こみかど)城 近江国(日野)

2013年11月14日 | 居館

 お城のデータ

所在地:蒲生郡日野町小御門 マップhttp://yahoo.jp/REWciL

現 状:個人宅:竹林

区 分:居館

遺 構:土塁

城 主:藤原秀郷より十四代目の蒲生高秀

目標地:必佐小学校

訪城日:2013.11.14

お城の概要

小御門城は日野川の支流出雲川の右岸河岸段丘上に位置しており、個人宅の庭と北側の藪に高さ4mの分厚い土塁が残る。
 東側と南側の竹藪にも土塁が残るが、西側の城域ははっきりしない。

小御門城は、日野川の支流出雲川の右岸河岸段丘上に位置し、現在では民家が建ち並び中心部の構造は不明とされるが、東側と南側に基底部巾約3m、高さ約1.6mの土塁が長さ150mに亘り巡っている。その外側には堀の名残りとされる水路も残っている。また、土塁の西方延長には細長い区画の水田がL字型に残存しており、トレンチ調査により堀であったことが確認されている。
地籍図や現況地形から城内の区画は、北区、西区、南区、東区、外部施設の五つの空間が推定されている。
なお、遺物の年代は、12世紀後半~13世紀前半、15世紀~16世紀代の二時期とされる。

城郭の歴史

 護良親王が居したことから小御門城との名が生じたと伝える。
「蒲生旧跡考」には「檜皮屋御所の跡」とあり、一説には結解十郎左衛門が居城したと伝える。

五辻官守良親王が居したとされます。小谷城(日野)との関連が考えられるとのことです。

近江蒲生郡志に「建武中五辻宮守良親王の拠り給いしにより、小御門の名を生じたり」と記されている。蒲生旧趾考には「村松の御所と号し」とある。小字名にも「城屋敷」が残っている。

小御門(こみかど)城・・・遠景(必佐小学校北より)

駐車5台可

参考資料:瀬田川観光協会HP、雲住寺

    本日も訪問、ありがとうございました。


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