城郭探訪

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大依山城  近江国(浅井)

2016年02月11日 | 陣城

お城のデータ

所在地:長浜市(旧東浅井郡浅井町)大依町 map:http://yahoo.jp/170v3j

別 称:大依山の陣

築城期:織豊期・・元亀元年(1570)

築城者:浅井氏

初城主:浅見実勝

区 分:陣城

陣 主:浅井氏・朝倉氏

遺 構:削平地、土塁、竪堀、犬走り

城 域 : -

標高 252~365m

訪城日:2016.2.11

お城の概要

 大依山は古墳が7つある、なだらかな斜面が東西に連なる山塊大依山という。稜線はなだらかであるが、南斜面(大依町側)あるいは北斜面(木尾町側)とも急斜面のうえ尾根幅は狭く、いわば屏風のような山である。

 滋賀県中生城郭分布調査の資料によると大依山城は、大依地区の秋葉神社背後の山と、東側舌状尾根の2カ所を指しているが、今回は秋葉神社背後の尾根一帯の遺構。

 八幡神社への参道を登る、ハイキングコース、後はひたすら急斜面を登ると約25分で尾根筋に出る。尾根筋に出たところで広い範囲に削平地を発見する。ここから標高365mの大依山山頂まで、この尾根筋に陣城の削平地を確認する。

 信長公記によれば、浅井・朝倉軍はこの大依山には4日間程しか滞陣していないためあまり削平されていないことも頷ける。

 浅井・朝倉軍は、織田軍に襲われ孤立している横山城まで2㎞の距離にあるここ大依山に陣を置き、合戦直前の4日間(元亀元年(1570年)6月24日~6月27日)をこの山中で過ごしている。そのことが、『信長公記』に明確に記載されているのだ。

 

最初にこの山に陣取ったのが朝倉の8,000人である。そこに浅井の5,000人が加わり、合計13,000人もの大軍がこの山に4日間も帯陣していたことになる。


 木尾地区及び郷野地区から出ている林道はほぼ稜線走っているため、車で上ると比較的容易に遺構を確認することが出来る。しかし遺構の全貌を見るためには歩いて廻ることをお勧!

歴 史

 

『信長公記』 巻三元 亀元年 8、姉川  あね川合戦の事

 越前より朝倉孫三郎景健率いる八千の援軍が到着し、小谷城の城東に位置する大依山①に陣を張った。待ちわびた援兵の来着を知った浅井長政は、城を出て朝倉勢との合流を果たした。
 朝倉勢八千に五千の浅井勢が加わり、都合一万三千の軍勢となった浅井・朝倉勢は、6月27日払暁大依山の陣を払って行動を開始した。陣を捨てて退却するものとも考えられたが、事実は相違した。出撃のための陣払いであった。

 28日未明、浅井・朝倉勢は姉川手前の野村・三田村の郷に移り、二手に分かれて軍勢を立て備えた。これに対し織田・徳川連合軍②は、西の三田村口に位置した朝倉勢には徳川家康が向かい、東の野村口に展開した浅井勢には信長公直率の将士と美濃三人衆が相対した。

 卯の刻(午前6時)、織田・徳川軍は敵勢ひしめく丑寅の方角へ向かって一斉に駆け出した。敵勢も姉川を越えて突撃し、ここに姉川合戦の火蓋が切られた。戦闘は双方が押しつ押されつの大乱戦となり、戦場には黒煙と土埃が巻き立ち、鍔が割れ槍が交差する音がこだました。そして後世に語り継がれるであろう数々の武功が生まれ、そのたびに名のある武者が命を落としていった。

 数刻にわたる激闘は、最後に織田・徳川軍が浅井勢を追い崩して終わった③。浅井勢は青木所右衛門に討ち取られた真柄十郎左衛門や竹中久作に討ち取られた遠藤喜右衛門をはじめ、前波新八・黒坂備中・浅井雅楽助ら他国まで名の聞こえた将の多くを失った。この戦で織田勢が討ち取った首の数は、面立ったものだけでも千百余にのぼった。

 織田勢は退却してゆく浅井勢を追撃して小谷までの五十町を駆け抜け、小谷では山麓へ火を放った。しかし小谷城そのものは切り立った高山の上に立つ難攻の城であったため、信長公は城攻めまでは無理と見て追撃をそこで打ち切り、横山城の攻囲にまわった。横山城はひとたまりもなく開城した

 信長公は横山城の城番に木下藤吉郎を入れ、みずからは7月1日磯野丹波守員昌の籠る佐和山城の攻略に向かった。佐和山では四方に鹿垣をめぐらし城東の百々屋敷に砦を構えて丹羽長秀を置き、北に市橋長利・南に水野信元・西の彦根山に河尻秀隆の各将を配置して諸口を封鎖し、四方より攻撃させた。

 7月6日④、信長公は数騎の馬廻のみを引き連れて京へ入り、公方様へ戦勝の報告をおこなった。京には数日滞在して戦勝参賀の使者の応対などをし、8日に岐阜へ帰還を果たした。

 ①現滋賀県浅井町内 ②徳川家康は24日に来援して織田軍と合流 ③合戦の内容については、織田勢が劣勢だったためか『信長公記』はあまり詳しく触れていない。 ④正しくは7月4日

「信長公記」には、元亀元年(1570)6月に姉川の戦いを前に、龍ヶ鼻に陣取った信長・家康軍に対し、小谷城を出た朝倉孫三郎(景健)が八千、浅井長政が五千の兵を率い大依山に陣取ったとある。

姉川の向こうに横山城

狼煙穴か?

目標地:浅井文化スポーツ公園

鳥居横に駐車場

参考資料:滋賀県城郭分布調査、信長公記、淡海の城

   本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝!!


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