城郭探訪

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奥田館 近江国(八日市)

2017年04月05日 | 居館

お城のデータ

所在地:東近江市(旧八日市市)中羽田402 map:http://yahoo.jp/H9efAp

現 状:集落内

区 分:居城

築城期:織豊期

築城者:奥田孫右衛門

遺 構:地蔵堂

目標地:後藤但馬屋敷跡

駐車場:集落内(神社御旅所)

訪城日:2017.4.4

お城の概要

中羽田集落に東端に「後藤館  近江国(八日市)」が、石垣・土塁・堀等遺構が残存する。

中羽田集落の中央部に位置し、居館前には地蔵堂が祀らている。他の遺構は消滅、しかし集落の北端には、竹藪が残る、遺構が残存するか?。

お城の歴史

奥田秀種

 先祖は斯波義将の弟・義稙で、民部昭介満種 -修理大夫持種 -佐兵衛督義敏 - 三郎政敏(秀種の父)と連なる血筋である(『寛政重修諸家譜』の場合。『群書系図部集』の「武衛系図」では義敏の子に彌三郎寛元、又三郎義延という人物はいるが、彌三郎は越前国北郡で討死、又三郎は続末野之跡とある。三郎政敏が途中で改名したのか同一人物かどうか不明)。 満種の3男で源三郎氏種という者が尾張国中島郡奥田庄の領主となり、奥田氏を称した家系があった。

 この奥田家が3代目・直種の代で断絶のところ、秀種が養子となり奥田家を相続した。最初尾張国奥田庄に住んでいたが、のち美濃国茜部に移住し、土岐氏の家臣となった。

 近江国へ度々合戦へ赴き手柄を立てた。近江の佐々木一門との合戦で、佐々木氏の「四つ目結び」の旗指物を奪い取り、四つ目のうちの一つをとり、「釘貫き」の家紋とした。定紋は「亀甲に花菱」。

「釘貫き」の発祥自体は鎌倉時代の関東の武士のようだが、村松藩の堀家の「釘貫き」は秀種に由来する。弘治3年(1557年)9月5日没、享年54。

 

末裔に「奥田 重盛」 正保4年(1647)~元禄16年2月4日(1703.3.20)は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は孫太夫で、最初は兵右衛門を名乗った。

集落に竹藪・土塁か?http://yahoo.jp/hX4Yy3

参考資料:『滋賀県中世城郭分布』Wikipedia

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