城郭探訪

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峯城     伊勢国(亀山)

2014年12月07日 | 戦国山城

お城のデータ

所在地:亀山市川崎町森字殿町  map:http://yahoo.jp/8JFOe9

築  城:貞治6年(1367)

築城者:関盛忠の五男【峯 政実】

城 主:関五郎政実・峯八郎四郎・岡本宗憲

区 分:平山城

遺  構:堀切・土塁・堀・枡形虎口・天守台・帯曲輪・本丸・空堀

面 積 :140m×300m

標 高:85m    比高差20m

三重県指定史跡

訪城日:2014.12.6
     

お城の概要

 滋賀県土山町山女原から安楽越、石水渓を経て、安楽川に沿って下る川崎地区の北側に位置しており、川崎地区民家の裏手の丘陵地にあたる。
 川崎地区の川崎農協から300m~400m北の林の中に白い看板が見える、ここが峯城への登り口になる。

 浸食谷を入っていくと、峯城への入り口を示す看板があるが、峯城の城域は白い案内板背後の斜面を登ったところから始まっている。急な斜面で登り難いが、山城好きの方にはこちらから上られることをお勧めする。

 斜面を登りきると、2条の堀切と曲輪を経て本丸に至る。本丸の南~西~北は土塁をめぐらし、西側斜面は切岸で処理している。

 伝天守台西側には帯曲輪を配し、本丸北側土塁の先は自然地形を利用した大きな空堀を配し、空堀を隔てた北側には、更に高さ0.7~0.8mの土塁を伴った曲輪を配して、虎口も認められる。 城域には雑木を「峰山城の史跡を守る会」が整備を進めている。

 天正11年2月、秀吉軍の大軍に攻められたにも関わらず、1,200人の守備兵で40日間以上も持ちこたえた城であるという。当時は安楽川と八島川が峯城の山裾を洗う要害地形を利用して築城された。

2014長谷川博美氏の現地踏査図

 

歴 史

峯城は安楽川と八島川に挟まれた標高85m程度の丘陵地に位置する山城で、正平年間(1346~70)に関盛忠の五男峯政実が築城したと伝えられる。

 以後峯氏の居城であったが、天正22(1574)峯八郎四郎が伊勢長島で討ち死にしたため峯氏は滅亡した。

 その後は岡本宗憲が城主となったとされるが、天正11年(1583)羽柴秀吉の北伊勢進攻、翌12年小牧長久手の戦いの前哨戦により二度の争奪戦が繰り広げられた。

天正18年(1590)岡本宗憲が亀山城に移されるにあたり廃城にされた。

 中心部の北・西・東側には高い土塁が廻り、一段高い土壇には瓦が散布していることから、石垣を持ち瓦葺きの建物が存在した。中心部の北にはいわゆる虎口も見られ、室町末期から安土桃山時代にかけての城郭の姿が良好に遺されており、中世城郭から近世城郭への過度期の城郭遺構で全国的にも希少な城址である。

 未発掘調査・未整備の貴重な城郭遺構であり・・・「整備・植栽なぞの公園化はせず」後世に、現状保存を望む!

 

 

城郭研究家の内田氏「天守台で【又ギ巴】発見」天守が瓦屋根の存在の確証!平瓦の破片(城郭史跡の400年も山内保存)

 

日 時 2014126日(土)10:30受付〜14:30解散予定

内 容 天正11年期 織豊系陣城(柴田/滝川)両陣城比較検討

1賎ケ岳合戦 柴田勝家 玄蕃尾城 大図面披露解説

2北伊勢戦線 滝川儀太夫  峯城 北郭大図面解説

3峯城伝天守台見学「天守郭詳細図による縄張の解説」

講 師:愛知中世城郭研究会 長谷川博美氏

案 内:城址研究家      打田典範氏

協 力 峯城址を守る会
場 所 集会駐車場所(三重県亀山市川崎町柴崎公民館駐車場20台)

参加費 1000円 保険費100円 資料A4×8
定 員 50名(要申込)

主 催 米原市文化協会 教養部会『城歩会』

協 力 (地元有志様各位)
問合せ 『城歩会』事務局 宮本ユウコ 09015839033 

      長谷川 メール wwmy29831@maia.eonet.ne.jp

参考資料:伊勢の城、長谷川氏の踏査図面・レジュメ

   本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!


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