城郭探訪

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石谷城 近江国(永源寺)    

2016年01月15日 | 居城

滋賀県中世城郭分布調査 4 旧蒲生・神崎郡の城より

お城のデータ

所在地:東近江市石谷町(旧神崎群永源寺石谷) map:http://yahoo.jp/KH-mff

現 状:畑地・宅地

築城期:室町期

築城者:倉垣氏

城 主:倉垣次(二)郎兵衛・倉垣勘八郎

廃城期:織豊期

区 分:居館(平城)

遺 構:消失

目標地:石谷集落の本間ガラス店・石谷住宅案内板

駐車場:路上駐車

訪城日:2013.5.4、2.16.1.9

 近江蒲生郡志の地籍図

お城の概要

城跡は、旧八日市市瓜生津町の東端、旧永源寺町石谷の西端にあり、両集落を合わせて見るとその中央部となる所に位置した。

 明治初期の石谷村地誌に「大薮と呼称した所に土塁や堀、井戸などの遺構が残っていた」、近江蒲生郡志には二重の防御を施した測量図を載せるが、遺構は消失し詳細は不明である と記されている。しかし、宅地化が進み、城跡は痕跡も留めていない。

国道307号の瓜生津町交差点を東折し県道170号に入る。東に150m程に南側の石谷住宅案内板・本間ガラス店があり、南奥の空地・畑地が城跡。

城址には、住宅が建たないと言うが、この比定地も空地(駐車場)・畑地のままで、例外ではない。周りは新興住宅で囲まている。

医谷住宅案内図

城址の比定地

歴 史

淡海温故録は「石谷村、倉垣二郎兵衛ト云フ此処ノ領主アリ」と記され、

大洞弁天当国古城主名札には、城主として倉垣次郎兵衛 記す

江州佐々木南北諸士帳には、倉垣次兵衛を挙げているが、これは中世末の領主であって平安初期以来の様子は殆ど不明とされる。

なお、倉垣氏については、室町時代の最終期、元亀元年(1570)と同2年に六角義治から倉垣勘八郎に宛てた、信長の退路遮断を賞する感状や忠誠を賞する感状が残っている。

天正元年(1573)の朝倉・浅井氏の滅亡、六角氏の籠る鯰江城の落城と共に、石谷城も廃城となり、倉垣氏は帰農したと考えられている。

郵便局 

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、近江蒲生郡志、淡海の城、古文書、遺跡ウォーカー

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