城郭探訪

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「お浜御殿」と呼ばれる「旧彦根藩松原下屋敷」 2012.11.29

2012年11月30日 | 館跡

彦根城の北方、別名「お浜御殿」と呼ばれる「旧彦根藩松原下屋敷」は、彦根藩11代当主井伊直中[なおなか]によって1810年(文化7)頃に琵琶湖畔に造営された下屋敷。

旧彦根藩主井伊家の第16代当主、彦根市長。井伊家第36代当主井伊直忠の長男。幕末の大老、井伊直弼の曾孫にあたる。

彦根市長を務めた。胃癌のため彦根市松原町の自宅で逝去した。83歳没

本庭園は、彦根藩11代藩主井伊直中(直弼の父が、城下松原村に文化年間(1810年頃)に造営した下屋敷の庭園である。                                                            周囲を巡る堀は彦根城・琵琶湖と繋がっており、さらに庭園の池とも繋がっていて、いわゆる汐入の形式となっている。
 庭園は主屋の前面に展開し、広々とした前庭部の先に池が南北に展開するように横たわり、橋が架けられていた。                                                                        橋を渡った東側は緩やかな起伏をなし、北に高く南に低い造成がなされ、松原越しに西方琵琶湖を望む展開となっている。石組はほとんど施されず、汀は州浜や芝付で伸びやかな景を呈している。                      植栽はほとんどが後世のものであるが、昭和の終わり頃までは橋の北側に蘇鉄の植栽があって江戸期からの庭園植栽であったと想定されるが、これも今はなくなっている。
 本庭園は上記のように江戸期を代表する大名庭園として、また汐入形式の庭園として貴重であり、名勝に指定して保護を図ろうとするものである。

本庭園は,彦根藩11代藩主井伊直中が,城下松原村に文化年間(1810年頃)に造営した下屋敷の庭園である。周囲を巡る堀は彦根城・琵琶湖と繋がっており,さらに庭園の池とも繋がっていて,いわゆる汐入の形式となっている。
 庭園は主屋の北面に展開し,広々とした前庭部の先に池が東西に展開するように横たわり,橋が架けられていた。橋を渡った北側は緩やかな起伏をなし,東に高く西に低い造成がなされ,松原越しに西方琵琶湖を望む展開となっている。石組はほとんど施されず,汀は州浜や芝付で伸びやかな景を呈している。植栽はほとんどが後世のものであるが、昭和の終わり頃までは橋の北側に蘇鉄の植栽がある。

 

本日の歩数  3,241歩   35分    2.2km

消費カロリー  28.8kcal    脂肪消費量 4.1g

 

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