お城のデータ
所在地:犬上郡多賀町敏満寺 map:https://yahoo.jp/G-ao1N
現 状:山頂
区 分:山城
遺 構:虎口・土塁・櫓台・曲輪・
築城期:織豊期か?
築城者:宗門衆か?
改築者:今井氏か?
標 高:224m 比高差:100m
目標地:金屋橋バス停
駐車場:金屋橋バス停の犬上川右岸の空地
訪城日:2017.9.7
お城の概要
犬上川の扇状地が多賀町大字楢崎・敏満寺で、南北から張り出した尾根で狭くなり、湖東平野への西の出口を形成している。南の尾根上に勝楽寺城が、北の尾根上に南籠城山城(どんじょ山、道場山)が築かれていた。
南籠城山城は二郭で虎口・土塁・櫓台跡。北側の尾根上に位置する南籠城山城は、土塁の廻る主郭とその南東方向に延びる削平地とからなっている。
主郭は東西42m、南北18mで中央南側に櫓台、北西に土塁・明瞭な虎口、土塁には横矢折れ、さらに内部は土塁や段築が三つに仕切られている。
南東に延びる削平地は35m×10mで先端部に大きな自然岩が点在している。周囲には犬走が廻る。
お城の歴史
伝承では宗門衆の城とされるが、
遺構は織豊期の武家のもの城郭遺構で、織田信長に抵抗する浅井氏や六角氏の残党と連携した宗門一揆衆が立て籠もったという伝承がある。
『嶋記録』には、
○敏満寺城 今井左衛門尉没落の事
秀俊妻女ハ番場土肥か息女なりしか、秀俊か息8歳尺夜叉をかゝへ、・・・・敏満寺に十余年の春秋を送り程見に」 今井一門連書乃写シ
「今井敏満寺ニ有し比」と記す。
六角方への内通を疑った浅井亮政により、天文2年(1533)長浜の神照寺にて誘殺された。
秀俊の遺児・尺夜叉丸と一門・家来は、六角氏の支援を得て敏満寺に10余年の間牢籠しており、その際の東方を守備する砦ではないかと推測するとのことであるが、詳細は不明である。
籠城山城俯瞰図{城郭研究家 長谷川博美氏作図}
写真集:https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/919642364865006
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参考資料:『滋賀県中世城郭分布調査』、『嶋記録』・遺跡ウォーカー
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