goo blog サービス終了のお知らせ 

城郭探訪

yamaziro

佐々木導誉/佐々木高氏

2012年04月08日 | 戦国山城

佐々木道誉 自署では主に「導誉」を使用している。

佐々木道誉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 
佐々木導誉/佐々木高氏
Sasaki Dōyo.jpg
佐々木導誉像
時代 鎌倉時代 末期 - 南北朝時代
生誕 永仁4年(1296年)
死没 文中2年/応安6年8月25日(1373年9月12日)
改名 高氏、峯方、導誉(道誉)
別名 四郎、佐渡判官
戒名 勝楽寺殿徳翁導誉
墓所 滋賀県犬上郡甲良町勝楽寺
滋賀県米原市徳源院
官位 左衛門尉、検非違使、佐渡守
幕府 鎌倉幕府御相供衆
室町幕府引付頭人、評定衆、政所執事
若狭・近江・出雲・上総・飛騨・摂津守護
主君 北条高時→足利尊氏→義詮→義満
氏族 宇多源氏佐々木氏   庶流京極氏
父母 父:佐々木宗氏、母:佐々木宗綱の娘
養父:佐々木貞宗
兄弟 貞氏、高氏、貞満、秀信、時満、経氏
正室:二階堂時綱の娘、きた、みま
秀綱、秀宗、高秀、娘(赤松則祐室)
娘(斯波氏頼)、娘(六角氏頼室)

佐々木 導誉/京極 導誉(ささき どうよ/きょうごく - )または佐々木 高氏/京極 高氏( - たかうじ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将、守護大名。若狭・近江・出雲・上総・飛騨・摂津守護。

導誉は法名で、諱は高氏。一般的に「佐々木佐渡判官入道(佐々木判官)」や「佐々木道誉」の名で知られる。

鎌倉幕府創設の功臣で近江を本拠地とする佐々木氏一族の京極氏に生まれ、執権北条高時に御相供衆として仕える。後醍醐天皇の綸旨を受け鎌倉幕府を倒すべく兵を挙げた足利尊氏に従い、武士の支持を得られなかった後醍醐天皇の建武の新政から尊氏と共に離れ、尊氏の開いた室町幕府において政所執事や6ヶ国の守護を兼ねた。

ばさらと呼ばれる南北朝時代の美意識を持つ婆沙羅大名として知られ、『太平記』には謀を廻らし権威を嘲笑し粋に振舞う導誉の逸話を多く記している。


最新の画像もっと見る