片桐市正ハ賤ヶ岳七本槍ノ一人ナリ、英雄ノ名ヲ得タル人ニテ
お城のデータ
所在地:長浜市(旧:東浅井郡浅井町)須賀谷町 map;http://yahoo.jp/WtDg-O
区 分:居館
現 状;山林
築城期:織豊期
築城者:片桐直貞
標 高:140m 比高差:20m
遺 構:郭・(石垣)・石碑・説明板
目標地:須賀谷温泉
駐車場:須賀谷温泉の奥の神社前空地駐車
訪城日:2016.3.20
お城の概要
小谷城主浅井久政の時代には、この一帯に家臣屋敷が造営され、鷹が巣を作る岩があったことから「巣ケ谷」と呼んだ。「巣ヶ谷」が「須賀谷」へ。
小谷城の南の麓に位置し、須賀谷温泉から上の斜面に郭跡らしき削平地が何段かある。浅井氏の家臣団の居館があったようで、その一角に片桐氏の須賀谷館があり、石碑が建つ。
観音堂は小谷城落城に際し、館の南側には小谷城の守り本尊観音像を移して祀ったとされ、その観音堂の石垣が残る。
お城の歴史
『淡海国木間攫』には、巣ヶ谷村「浅井家小谷山ニ城ヲ築、此地ヲ家士屋敷地トス、往古ヨリ片桐氏居セリ、浅井家士片桐孫右衛門ト云人、此谷ニ鷹ノ巣ヲ懸ル岩アル故。苗字ヲ巣ヶ谷ト改シ由、此人片桐市正カ親ナリト云、今樽片桐ノ末葉此村ニ住ス、即村役人庄屋作左衛門是ナリ、彼カ家ニ浅井城門ノ扉今ニ所持セリト云、鷹ノ巣ヲ懸シ岩、今ニ小谷ノ城京極丸ノ東谷ニ有ト云、
片桐下総守ハ義政将軍ノ直参ニテ、嘉尚卿御任官ノ時ノ役人ナリ、同備後守寛光・同備中守実方・同土佐守実貞・同若狭守実時何レモ記ニ出ス、同市正ハ賤ヶ岳七本槍ノ一人ナリ、英雄ノ名ヲ得タル人ニテ、世上専賞誉セリ」と記す。
片桐氏は信州伊那谷の名族片桐氏の一族。須賀谷館は、戦代に片桐直貞によって築かれた。
片桐直貞は、信濃伊那谷の船山城主であった片桐氏の一族で、浅井氏仕えた。 直貞の子、且元は秀吉に仕え茨木城主となり、関ヶ原の役後は豊臣家家老職を務めた。 且元弟貞隆は、大和小泉で1万石を領して明治まで続いている。
片桐孫右衛門(且元の父)も居住。 片桐且元は弘治二年(1556年)に生まれ、羽柴(豊臣)秀吉に小姓をとして仕え、その後、天正十一年(1583年)の賤ケ岳の戦いでは七本槍に数えられます。<現地案内板より>
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査
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