井伊直正の供養塔があるという清涼寺が、嶋左近の屋敷の跡であるという。 背後にそびえて見えるのが佐和山城の本丸である。
嶋左近屋敷の石垣も残っているという話であったがどこのことなのかよく分からない。 しかし穴太積みと思われる石垣はあちこちにある。
龍潭寺山門
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戦国時代になると、小谷城主浅井氏の持城となり、磯野昌吉・員昌が城将となり、元亀元年~天正10年にかけて織田信長と戦い、そしてついに開城した。
本能寺の変後、豊臣秀吉はこの城の立地条件から有力武将を城主に配置した。 天正11年に堀秀政が5万石で城主となり、天正13年に堀尾吉晴が城主となり近世城郭へと改修が始められた。
天正18年、石田三成が194,000石(後に21万石)を領して城主となった。 三成は、改めて城と城下町の整備を行ったが、慶長5年の関ヶ原の合戦に敗れ、居城佐和山城も東軍に攻められ落城した。
関ヶ原の戦功により、上野高崎より井伊直政が18万石を領して入城するが、その後彦根築 城により廃城となった。
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